2014年07月19日

南京1日目 ディナー@南京大牌檔

2014年5月31日(土) 南京料理のディナー@南京大牌檔

とうとう雨が降り出したので、適当にショッピングモールに入って雨を凌ぐことにしました。

地下鉄の三山街駅から夫子廟に来る途中、アクアシティ水游城)というショッピングモール
のそばを通ったのを覚えていたので、雨の中、そこに取りあえず逃げ込みました。

ここのレストラン街でよさげなお店を探したのですが、どうも隣の水平方という
ショッピングモールと繋がっていたのか、いつの間にかそっちに行ったらしい。(^^;)
(あるいは最初からこちらへ入ったのか。)

ここで、夕方一度は諦めた南京大牌というレストランの別店舗を発見!

もう時間も21時を回ろうとしていたので、客も少なくなっている様子。
せっかく南京に来たので迷わずここに入ることにしました。


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とはいえ、まだ人は並んでいます。ここはお店の入り口前にある待合エリア。
セルフサービスのお茶があり、私達も自由に頂きました。


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まず、整理券を取ります。

20分以上待たせたら〇〇プレゼント、40分以上待たせたら〇〇プレゼント、
などなど、待ってもイライラしないサービスが。この辺も人気の秘訣でしょうか。


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少し待った後やっと私達の順番が来ました。入口の看板もレトロです。


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店内は昔の中国の雰囲気ですが、新しくてキレイ。なかなか楽しいです。


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私達が通されたのはステージ横の端っこの席でした。いつ演奏しているのでしょう。


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ここの特徴は、普通のメニューもあるけどオープン・キッチンメニューの実例が並んでいること。
名前も書いてあるし、外国人でもどんな料理か分かりやすいです。

「大牌檔」というのがそもそも屋台街みたいな所を言うのだそうで、だからこういう作りなワケですね。


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そして恐ろしくメニューが多い。南京料理に限らないようです。


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普通の点心や麺類も豊富で、見てたら思わずいっぱい頼んでしまいそうになります。


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オープン・キッチンだと作っている過程がある程度こちらから見えるので、
ここ中国にあっては安心なお店という気がします。(気がするだけですけど・・・。)


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私はとりあえずご当地ビールの金陵ビールを。(金陵とは南京の昔の名前。)

味はまあまあいい方ですが、中国各地のご当地ビールを飲んでみて改めて思うのは、
青島ビールがいかに別格かということです。他はとにかく薄い水みたいなビールが多いです。

奥の茶色いのは、江米扣肉という料理で、もち米と豚バラの醤油味が濃いけど美味しいです。
が、豚バラが中国によくありがちなほとんど脂身状態なので、後からウッときます。

何でも、調理した材料の入った入れ物をひっくり返して中身を皿の上にキレイに乗せるのが
コウ)の意味だそうな。知らんかった。


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こちらは鴨血粉絲砂鍋鴨血粉絲湯(アヒルの血と春雨のスープ)は南京名物ですが、
ここのは土鍋でやってきます。「鴨血」が不安でしたが、それほど鉄分くさくなく。

スープの味は淡泊なので、みんな自分で調味料とか足したりして食べてるんでしょうね。


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これが一番の名物という招牌塩水鴨。南京と言えば塩水鴨なんだそうな。
あっさりしていますが、塩水というだけあってしょっぱい。
好き好きでしょうが、私はもう少し薄味が良かったな。肉のアヒル~って感じは好きでしたが。

最初に出てきたもち米と豚バラのヤツが見た目より量があり、これだけでも十分お腹いっぱい。
もっと人数がいたら、みんなでたくさん頼んで色々食べられて楽しいでしょうね。


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私達は遅くに入ってゆっくり食べていたので、帰る頃にはガラガラに。


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そして、こんなレトロな所でお会計。

料理とビールの他にミネラル・ウォーターも1本頼んで、お会計は全部で108元
ここ、むちゃくちゃ安かったです。

上海に戻ってほどなく支店が出来たのを知ったので、ぜひ上海店にも行きたいです。



posted by サラミ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月17日

南京1日目 夫子廟

2014年5月31日(土) 夫子廟

美麗宮を見た後は、近くのバス停が見つけられず、テクテク歩いて山を下りました。

途中、地下鉄の駅に着くまでにもう一ヶ所バス停があったので、
あとわずかでしたが一駅乗りました。もう歩き疲れて死にそうでした。

バスは苜蓿園駅近くの観光バス乗り場まで戻り、その近くにあった商店でお水や折り畳み傘を
買った後、食事できる場所を目指しました。もう時間は18時をとうに過ぎています。


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サラミ夫が、北京在住の知り合いに噂を聞いていたというこのお店。北京にも支店があるそうな。
たまたま苜蓿園駅の近くにあったので本当はここに入りたかったのですが、恐ろしい人気!

座り込んでいる人々はみんな整理券を取って待っているのでした。
お店の人に聞くと、最低でも1時間はかかると言われたので断念しました・・・。

(注:実は後日、上海にも支店ができました。)


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とりあえず、地下鉄でホテルのある新街口駅まで戻ることに。

が、今日はの天気予報だったのに、奇跡的にまだ降り出していません。
ホテルに戻ったら絶対に疲れて動けなくなるので、このまま頑張って移動しようと決断!

というわけで、新街口で地下鉄1号線に乗り換え、三山街で降りて、
南京随一の繁華街、夫子廟に行くことにしました。

が、地下鉄の三山街からギラギラ・ライトアップされている夫子廟エリアまで
実は結構歩くのですね。まあ、歩けない距離ではありませんが。

目的地到着までは15分~20分くらい見ておいた方がいいでしょうね。
繁華街なのであれこれ見ながら歩くと退屈しません。が、ゴミが多いです。


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思わず途中で羊肉串を買って立ち食いしてしまいました。


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こんな地味なパフォーマンスをしている人も見かけました。でも周囲の反応は冷たい。


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この男性、ペットボトルの上に両膝爪先を付けてじーっとしているだけ。
すんごい難しいと思うのですが、地味なのであまり感動を呼ぶことができない様子。

パフォーマンスには派手さも必要かと。(^^;)

ここからさらに、ひたすら真っ直ぐ歩き、状元楼酒店というホテルが見えてきた辺りで
右に折れて細い道を進みました。この辺りはもうすごい人。何しろ中国の連休ですから。

夫子廟というのは上海の豫園と同じで、夫子廟という建物もありますが、
そのエリア一体も夫子廟と呼ばれていて、夜は煌びやかにライトアップされます。

私は2005年にもここに来ていて、その時もギラギラネオンが光ってたな~、
という微かな記憶だけ残っていました。

建物の夫子廟は夜でも解放されていて、大成殿に入らなければお金もかかりません。
しばらくそこで座って休憩しましたが、その時はとにかくお祭りの露店状態で人がうじゃうじゃ。

賑やかでしたが喧噪もすごくて、ものすごく居心地が悪かったので、頑張ってまた移動。


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この路地を人をかき分けて進み、ライトアップされている秦淮河の方を目指していきました。
雨が降る直前で、蒸し暑いのにこの熱気で疲れました・・・。

路地を抜けると広い場所に出ましたが、あちこち工事中のようで、秦淮河のそばに行くには、
ぐるりと囲まれた工事用の壁のほんの隙間から出入りするしかありませんでした。

しかも、その隙間って1ヶ所2ヶ所くらいしかない!

そこに、おそらく見た感じだけでも100人以上は出入りしようとしていて、
こちら側からも向こう側からも、人民がぐいぐい押しあっています。

私も突破しようとしましたが、子供を楯に突っ込んできたオバハンに押されて壁と人に挟まれて
身動きが取れなくなりました。後ろに下がろうにも私の後ろも人民が押してきています。

サラミ夫が先に行ってしまって、私は子供を避けて何とか一旦下がり、先に行けないので
どうしようかと思いましたが、私の後ろの人民の方々が、子供を楯にしたオバハンの態度に
キレまくり、その勢いで私も後ろから押し流されて隙間を突破しました。

上海ではもう滅多にこんなことは起きなくなったので、久々に中国の地方都市でうんざり。
てか、ちゃんと整備していない南京市がそもそも悪いのだ、あれは。


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ジリジリと人をかき分けて前に進み、やっとライトアップが見える位置をゲット!
河の上では踊りが繰り広げられていました。

何やら、人々は遊覧船に乗るために恐ろしい長蛇の列を作っていました。
80元の遊覧船と60元の遊覧船の違いが何なのか、ちょっと気になるところです。


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舞台セットの上で踊る方々。その前を遊覧船が通り過ぎていきます。



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出演者はどんどん変わっていき、衣装の色も中国らしくそれぞれ鮮やか。


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サラミ夫のビデオカメラによるズーム。楽しそうに踊っています。

今日のこれは端午節ということで少し豪華版なのかも知れませんが、
それにしても、これが無料で見られるというのも、中国ならではの娯楽です。

しかし、いつまでもいつまでーも同じような歌と踊りが続くので、
20分くらい見物した後、私達は夕食を食べるために秦淮河を後にしました。

帰り、その昔「科挙」が行われていたという江南貢院歴史陳列館の前を通りましたが、
思いっきり工事中。どうやらエリア全体を完全に立て直すようで大規模工事でした。

そしてとうとうが。

道路もあちこち工事中で水はけも悪く、夫子廟の余韻に浸ることもなく、
せわしなく賑やかなエリアを後にしたのでした。

印象は、やはり上海の豫園のようなところでした。


ラベル:夫子廟 南京 中国
posted by サラミ at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月15日

南京1日目 美麗宮

2014年5月31日(土) 美麗宮

ついに今日の最終目的地、「美麗宮」です。

4か所の合同チケットが当日だけ有効なので、根性で回るしかありません。
この辺が中国の不親切な所なんですねぇ。せめて2日間有効にしてくれれば。(涙)

さて、現在地の明孝陵の正門「大金門」から美麗宮までは徒歩で行けます。

すぐ近くにあった明孝陵博物館はすでに閉館だったのでスルーし、
え、どっち?とちょっと迷いながらも大きな道路を歩いて美麗宮に到着しました。


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入口付近にこの大きな看板があります。

「美麗宮」というのは通称で、本当は「国民政府主席官邸旧跡」です。
時の主席の蒋介石と妻の宋美齢が滞在したことから美麗宮と呼ばれるようになったとか。

1931年から3年かかって建てられた官邸ですが、思ったほど巨大ではありませんでした。


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中洋折衷の不思議なデザイン。修復工事をしたそうで私達が訪れた時はとてもキレイでした。


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玄関前に停まっていたクラシック・カー。30年代のビュイックだそうです。

ガイドブックには「宋美齢の専用車」と載っていましたが、どこにもそんな説明はなく、
官邸専用車両」としか書かれていませんでした。

ま、実際は宋美齢が私用でガンガン乗りまくっていたであろうことは想像に難くないですが・・・。
(あくまで私の妄想ですが。)

建物は3階建てで、一番上から見ていきました。


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中央の階段を上りきると突き当たりにこんな空間があり、ここから順番に部屋を見て回りました。


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まずダイニング・ルームです。蒋介石宋美齢のプライベート・ダイニング・ルームだそうな。
政府や軍の要員も、度々ここでもてなしたとか。


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反対側から。部屋の中には入れないのでこのアングルがギリギリです。

部屋の左側には食事の配膳準備などをする部屋があるそうで、地下のキッチンとリフトで連結。
出来たてをすぐにリフトで上げて持ってくるという用意周到な設計だと説明文で絶賛しています。(笑)


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個人的にびっくりしたのはこちらの礼拝堂です。官邸の中に礼拝堂!?みたいな。
宋美齢も蒋介石もクリスチャンだったから礼拝堂を作ったのでしょう。

しかし、蒋介石は宋美齢と結婚するために洗礼を受けたと私は思っているので、
敬虔なクリスチャンとは言われていますが、心の中は本当はどうだったのでしょう。

一応、毎週日曜の午前中はここで礼拝を行っていたようです。


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壁にはこんな写真が掲げられていました。礼拝の時の写真だそうな。


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こちらは蒋介石・宋美齢夫妻の寝室。こちらは主寝室で、もう一つ寝室がありました。何でや?


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ベッドの上にあった若い頃の宋美齢の写真。

宋美齢といえば頬がこけてスレンダーな印象がありましたが、随分ふっくらしています。
まだ幼くてかわいらしいですね。(その後はドラゴン・レディという異名そのものですが。)


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広々とした寝室の左端に置かれていたクローゼット蓄音機

さすがに20世紀とあって、家具はアールデコな感じに中国家具が折衷されていて、
シンプルながらも洗練されています。このセンスの良さは宋美齢のセレクトなのでしょう。
蒋介石は軍人でしかも質素だったようなので、あんまりセンスはなかったのでは。


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もう一つの寝室。こじんまりしていますが、西洋風の暖炉付きです。


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ベッドの上には有名な蒋介石と宋美齢の結婚写真

しかし宋美齢はなぜこのウエディング・ドレスを選んだのでしょう?
ヘンだと思うのは時代のせいでしょうか。全然似合っていないのだが。

ついでにいうと、宋美齢が美人で人気があったというのがいまだに理解できません。
美人の基準がよく分かりませんが、表情の素敵な人だったのでしょうか。

一方の蒋介石はかなりのハンサムだと思うのですが、
写真の中の蒋介石はいつも目が笑ってなくて、私は冷淡な印象しか受けません。


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こちらの殺風景な場所は宋美齢がよく使った入浴化粧室だとか。

壁のタイルも床のモザイクも今見ると何の変哲もないのですが、
当時は最新の設備だったそうで、バスタブなんてイギリスから運んだらしい。

ここで宋美齢はよくミルク風呂に入ったそうです。
当時は牛乳って中国では珍しかったのではないかと想像。(みんな豆乳飲むし。)


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こちらは蒋介石の書斎。広すぎず落ち着いた佇まいです。

一階下に下りると、中階には、小さなお土産屋さんや本屋なども。


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こちらは秘書室。タイプライターなど時代を感じます。金庫の中は現金があったのでしょうか。


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蒋介石のオフィスには孫文の写真がドドーンと。記録を元にした再現だそうですが。


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そしてこちらは応接室。国民党の偉いさんやらアメリカ大使など重要人物と会見した場所。

米軍顧問のマーシャル」ともここで会っていたと解説に書かれていましたが、
そのマーシャルっておそらくマーシャル・プランで有名なあのジョージ・マーシャルでしょうね。


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そして、上の階で礼拝堂だった場所は、中階では宴会ホールになっていました。
その一部で写真のようなテーブル・セッティングが再現されています。

左奥の部屋は宋美齢の資料館でした。


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ホールの床の四隅にはこんなはめ込みがあり、はめ込み式暖気装置と書いてました。
下の階のボイラー室から来る温風で宴会ホール全体を24℃に保っていたとか。


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ホールの一角はレトロな中華民国時代風のカフェになっています。
歩き疲れたらここで休めます。

ホールから外のテラスに出てみました。

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パラソルが邪魔でヘンな写真になってしまいました。
自由に座れる椅子が置いてあるので、観光のおばちゃん達でいっぱい。

中の洋風とは裏腹に、外側は中華デザインでビッシリ。豪華です。

一番下の下階は主に使用人やここで働く人達の部屋や設備で、
キッチンやボイラ―室など、地味ながらよく出来た部屋が並んでいました。

私は昔の家などレトロなものを見るのが大好きなので、ここも楽しみにしていましたが、
想像していたよりも蒋介石・宋美齢夫妻が慎ましい暮らしをしていたのが意外でした。

ここは規模が小さいので、サーッと見て流すなら短い時間で見て回れると思います。
私達は夕方に到着したので、これでも頑張って急いで見て閉館ギリギリに出ました。

明孝陵まで来たなら、ついでにこちらもオススメです。

posted by サラミ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月13日

南京1日目 明孝陵

2014年5月31日(土) 明孝陵

霊谷寺から再び5元の電動カートで明孝陵に向かいます。


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明孝陵は、明の太祖洪武帝(朱元璋)と皇后の陵墓です。とにかく広大の一言。

大金門→四方城→石象路→翁仲路というルートで参道を散策していくのが本当の順番なのですが、
バス停は参道をすっ飛ばした入口の近くにあるので、先に陵墓を見てから参道を戻ることに。

明孝陵をすべて制覇したい方は、上の地図よりさらに南の地下鉄下馬坊駅まで来て、
そこから徒歩で下馬坊→大金門→四方城→参道・・・と歩いて行きましょう。5キロ位ありそうですが。

昔は、明孝陵に参拝する人は下馬坊から必ず歩いて行かなければならなかったとか。あーしんど。

余談ですが、参道の近くには三国志で有名な孫権の墓(記念館)もあるとのことですが、
私達はとにかく時間がなかったので今回はパスしました。


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バス停から中途半端に歩いて金水橋という所に到着。元々5つあったのが今は3つのみ現存。
この景色を見て「あ、9年前に来たわ!」と一気に思い出しました。ここは明孝陵だったのか。(^^;

後は、ここをひたすら真っ直ぐ北上します。よくある中国の宮殿建築の作りっぽい。
実際ここは、後の明清代の王陵のモデルになったそうです。


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ちょっと外れにひっそりとユネスコ世界遺産の碑が。世界遺産なのに人が少ない。


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陵宮の見取り図です。

東西にも建造物があるようですが、今までの中国での経験から、大体これらの建物内は
中がカラッポかお土産屋さんとかだったりします。(しかもここも大部分が復元だしね。)

よって、まっすぐ2番→7番→10番→11番→12番→14番と行くことにしました。


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2番の文武方門に到着。キレイに塗り直したようで随分と新しく感じました。
現地の説明を見ると1998年に復元したのだとか。その後も多分壁は塗り替えてるでしょうね。


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ガラスケースに入れられた「特別告示碑」という石碑を発見。

1909年、明孝陵の保護を目的として、日本語・ドイツ語・イタリア語・英語・フランス語・ロシア語
6ヶ国語で書かれた告示だということです。要は「傷つけたりしないでね。」ってことですね。

1909年というと、欧米列強や日本がぐちゃぐちゃ入り込んで外国人も多かったのでしょうね。
しかし、イタリア人までいたのか。ほぇー。


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同じ特別告知碑先の7番の碑殿にもあり、こちらの方が摩耗が少なかったです。
しかし漢字とカタカナなので読みにくい。


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碑殿は、その名の通り石碑がある建物で、こちらは康熙帝が1699年に南部巡視の際に
書かれた言葉を石碑にした、と説明にありました。少しバランス悪くて逆にリアルです。


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その脇には乾隆帝の筆による石碑が。
さすがにこの辺りは人が多くて引きで写真が撮れませんでした。


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そして真っ直ぐ進み、おそらくこの建物は地図10番の殿。(記憶が曖昧です。)
この頃には疲れでもうどうでも良くなってきたため写真もかなりいい加減です。

ここは元々は孝陵殿という立派な建物だったようですが、1853年に太平天国の乱で破壊され、
同治帝の時に建て替えられたそうですが、随分規模が小さくなってしまったような。

そして地図11番の内紅門をくぐり抜け(写真なし)、やっと突き当たりまで来ました。


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メインの建物、方城明楼。足元は昇仙橋という橋だったようです。スルーしてました。

下の石の土台の部分が方城で、明楼は上の色鮮やかな建物の部分を言うみたいです。
そして、この明楼の後ろに位置する墳丘が、太祖洪武帝皇后のお墓のあるです。

でも、ここってこんな新しかったっけ?9年前はこんな所来たっけ?と何だか不思議に。
現地の説明を見ると、明楼の屋根は2008年から1年かけて修復したと書かれていました。

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こちらは2005年の写真です。上の明楼の屋根が見事にありません。壁もボロボロ。
そうでした。確か以前はこのようにボロボロだった印象が。

随分と立派に蘇りましたね。


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階段を上って明楼の上に上がります。


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階段を上りきると、「此山明太祖之墓」と書かれた石垣が目の前に。
ここは円墳で、ぐるっと城壁で囲まれています。この地下に朱元璋が眠っているのです。


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宝頂はこの通り緑の生い茂ったで、歩道もあって中を行けるようなのですが、
墓室に行けるわけではないので私達はパス。

太祖洪武帝皇后の墓室はこの地下深くにあるそうですが、発掘調査をしたことがないとかで、
「地下宮殿」なんて呼ばれてはいますが、実際のところは謎なんだそうな。


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向きを変えて明楼の上に向かいます。この階段というか斜面が登りにくい。
少年のスニーカーは納得ですが、なんで大陸のおっさんは革靴で歩き回るんでしょうか。


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明楼の上から今まで歩いて来た道を臨みます。ここもアホみたいに広かったな。


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こんなトランプも売っていました。
非常に気になりましたが、南京という土地で日本人の私がこれを手に取る勇気はありませんでした。


実は、昔ここに来た時に非常に興味深い石を見たので、今回もそれを楽しみにしていたのですが、
修復されてしまって様子がすっかり変わってしまい、同じものが見つけられませんでした。

↓これがその石です。2005年に撮影。

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当時の私は中国語はほとんど分かりませんでしたが、ガイドさんの説明がありました。

ここを作る時に、奴隷だか職人だかが自分の名前を石に刻み、何か粗相があったりすると、
その情報を見てその石煉瓦を作った人が処刑されたのだとか。

この写真の石にそんなことが書かれているのかどうか分からないのですが、
そういうことを聞いて「ひえ~!」と思い、シャッターを切ったことを今でも覚えています。

でも、今回現地ではどこにもそんな説明はなく、ネットで調べても分からないままでした。
ほとんど中国語が分からない時に聞いた話なので、勘違いもあるかも知れません。

でも処刑されたという話は確かに聞きました。

こんなわけで、明楼では期待していた物が見られなかったせいもあってガッカリしてしまい、
ロクに写真も撮らずに元来た道を戻ってしまいました。

中国の遺跡はただただ広くて歩き疲れることが多いです。(涙)


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延々と歩いて翁仲路神道参道)に戻って来ました。
私達は逆方向に歩いているので、これは後ろを振り返った図。

正面に見える欞星門(れいせいもん)という門は、前に山東省の孔子を祀る孔廟でも見たので
気になって調べてみたところ、孔廟のウィキペディアには、

欞星は古代の伝説では天上にある星で、古代の帝王を祭る際はこの星に対し儀式を行った

とあるので、皇帝に関わりのある場所に置かれる門なのかなと想像。
孔子あたりになると、皇帝に近い所(あるいは同等)にまで神格化されたのでしょうね。


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道を曲がって石象路神道に来ました。これらの12対の石獣は明代から残るオリジナルですが、
今は皇帝の参拝というよりも、恰好のデートスポットになっている感じです。


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そして一瞬迷いつつ、四方城に到着。ここも見事に修復してますね。

四方城は通称で、本当は「神効聖徳碑楼」と言うのだそうな。
2012年に保護のため工事を行ったとあるので、本当に直して間もないのだな。


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中には明の永楽帝が父の太祖・洪武帝(朱元璋)のために立てた
大明孝陵神効聖徳碑」という石碑があります。

1413年に出来たとあるので確かに古いです。
永楽帝自身の手による碑文だそうですが、古いのと巨大すぎて遠くて見えません。



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そしてとうとう大金門に到着。

私達は逆方向に歩いてきたのでここで到着ですが、本来はここが明孝陵の外壁の正門なので
入口」という看板があります。徒歩の方はこの辺から出発ですね。

いやー、とにかく広かった!思いっきり足が疲れました。(今日は中山陵にも上ってるし。)
一体何キロ歩いただろう?って位疲れました。中国の陵墓や宮殿は本当に体力勝負です。

しかし時間はもう夕方。最後の一ヶ所、美麗宮が残っているので、
疲れた体にムチ打って、まだあともう少し歩き続けます。

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2014年07月11日

南京1日目 霊谷寺

2014年5月31日(土) 霊谷寺

中山陵を見学して元来た道を下り、思いっきり疲れた私達はとりあえず休憩。

中山陵のふもとには軽食や飲み物が売られていたので、
冷たい桃ジュース煮玉子を購入。

煮玉子は味が濃すぎて食べた後気持ち悪くなりました・・・。


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もち米に甘いつぶあんを挟んだおやつも買ってみました。
が、私はおはぎが嫌いなので当然ながらこれもアウトでした。(←アホ)

少しベンチで休んだ後、次は霊谷寺に行こうと最初に来たバス停に戻ったものの、
地下鉄駅に行くバスしか見当たりません。

係の人をつかまえて聞いてみると、霊谷寺行きのバスは別のバス停から出るそうな。


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この通り、中山陵には3つのバス停があり、霊谷寺行きのバスはさっき休んでいた場所のすぐ近く。
中山陵の博愛坊の近くでした。(中山陵東站)

ちなみに谷景区と書かれているところが霊谷寺のある所。

せっかく下ってきたのにまた上るのか・・・。うんざりしながらまた博愛坊の辺りまで戻りました。

そしてまた5元払ってSL電動カートで霊谷寺に到着。
ちなみに、チケットに含まれていた「音楽谷」という所はただの巨大な広場なので省略。

霊谷寺に到着した時、すでにランチ時間を過ぎていました。

この後、明孝陵美麗宮にも行きたかったので時間が厳しかったのですが、
ここで食べないとランチ抜きになって食いしん坊の私がもたないので軽く食べることに。


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バス停のすぐ近くでラーメンを。確か牛肉麺で10元。可もなく不可もなく。
どんどん伸びていく中国のラーメンです。


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さて霊谷寺です。手前に「国民革命軍陣亡将士公募」と書かれた石碑がありました。
中国革命後、敷地は国民党兵士の共同墓地になったとか。


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山門を通ってさらに碑坊を抜けると、前に建物が見えてきました。
とても広い敷地で、ここ全体が霊谷寺景区という公園のような場所になっているようです。


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最初に現れた無梁殿はガイドブックによると1381年の創建だそうですが、
現地にあった説明には「1931年に国民党兵士の共同墓地の祭堂に建て替えられた」とありました。

さらに、「辛亥革命腊像館」の看板もあるので、「辛亥革命ろう人形館」ってとこかな。


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中に入ったらいきなり現れる「国民革命烈士之霊位」の文字。薄暗い空間です。


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そして南京条約から始まる辛亥革命の流れがジオラマで展示。確かにろう人形です。


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アヘン戦争に負けた後うんぬん・・・という恨みつらみの南京条約。

これより中国は半植民地半封建社会に成り下がったという表現が、
ものすごい怨念というか屈辱を表しています。


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その他、中華民国成立とか第一次国共合作とか黄埔軍官学校の設立などなど。


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「革命未だ成らず」の言葉が有名な国父遺嘱

この他、戦死者の夥しい数の名前が壁一面に刻まれていました。

結構面白かった無梁殿でしたが、肝心のお寺もまだ見学していないので、いそいそと移動。


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ちょっと写真失敗しました。霊谷寺です。

昔は康熙帝乾隆帝も訪れた由緒あるお寺のようですが、太平天国の乱で大部分を焼失し、
多くがその後の再建だそうな。実際、とても新しいお寺でした。


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お寺の内部はそれほど広くなく、こじんまりとしています。しかも人も少なめ。


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実は、あまり期待していなかったのですが、想像以上に立派なお寺で驚きました。


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こちらは玄奘院。あの玄奘三蔵(=三蔵法師)から取られているのは明らかです。
が、この時はそのことに全く気付いていませんでした。


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ふと見上げると、こんな中国らしいモノがさりげなく。(笑)


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玄奘院の中に入ると、さらに大遍覚堂という場所が。


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この内部も荘厳で目を奪われました。気付くのが遅すぎましたが、これは玄奘三蔵の坐像です。
ここは玄奘三蔵法師の記念堂なのでした。


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坐像の左側に透明なケースに覆われた金色のものが置かれていました。


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唐玄奘三蔵法師頂骨舎利なんとか・・・と書かれています。

これを見て、このお寺に三蔵法師の頭骨が安置されていることを思い出しました。
旅行前にチェックしていたのですが、ここに来るまですっかり忘れていたのでした。

なんでも、玄奘三蔵の遺骨を南京で発見したのは日中戦争さなかの日本軍だそうな。


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玄奘三蔵の遺骨は、中でシャンパングラスのようなものに入れられていました。

ガイドブックには三蔵法師の遺骨が安置されていることは全く紹介されていませんでした。
これが本に載っていたら、もっと観光客が訪れるのではないでしょうか。

今回これがきっかけで、三蔵法師の遺骨が中国や日本のあちこちのお寺に分骨されていることや、
日本軍が南京で見つけた遺骨を、結構ムリやり日本にも分骨させた(っぽい)のを知り、複雑でした。

色んなことを思いながら、霊谷寺を出ました。


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こちらは松風閣。門は閉まっていてみんな中には入れず。


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こちらは見どころと言われる霊谷塔

でも実は新しくて、1931年~1933年に建立された国民党兵士の戦没記念塔だというので
わざわざ行って上るのはやめ、全体を見渡すだけで終わりました。

時間がないのでサクッと見て終わるはずが、思った以上に見ごたえのあった霊谷寺でした。

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