2014年07月27日

南京2日目 総統府3

2014年6月1日(日) 総統府 ~子超楼&防空壕&行政院&晩清と民国歴史陳列

またまた総統府の続きです。(いつ終わるのか自分でも分かりません。)

総統府文物史料陳列を見た後は、そのまま真っ直ぐ進みました。


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続いて総統府弁公楼(子超楼)へ。少し雨が上がりました。


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中はこういう作りですが、私はもう足が棒になってしまったのと、昨日の美麗宮に似ていたことから
3階の国務会議庁は見ていません。でも惜しいことをした~。


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2階の蒋介石のオフィスです。元々は国民政府主席のオフィスですが、日本の占領期間を経て、
1948年に蒋介石が総統に就任してから「総統弁公室」に名前も変更された模様。

ちなみに、この場所をゲットして写真撮るの大変だったのです。


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こんなに混雑してましたからね。総統府はやはり平日に来るに限ります。


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ざっと見て、子超楼を出ました。私が立っているこの場所は庭園でしたが、
ここもおぞましいほどの人・人・人だったので、庭園の写真を撮る気にはなれず。


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次に向かったのは防空壕です。ホーチミンの統一会堂みたいに何かあるのでしょうか。わくわく。


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と思ったら何もありませんでした。

説明によると、1934年に先ほど見た国民政府弁公楼を建てた時にこの防空壕も作ったとか。
当時は日本軍の戦闘機が頻繁に飛来していたらしいです。

また、1949年の解放前夜、総統府の役人が持ち運べない書類をここで大量に燃やしたそうな。


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次に向かったのは行政院という建物ですが、ここはスルーしました。
1920年代の建築だそうな。


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先ほどの行政院を通り抜けると南にもう一つ行政院が。行政院は北と南に2つ建物があります。
こちらは少し新しく1934年に建てられたとか。

中の展示は国民政府行政院文物史料陳列です。陳列が多いです。


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国民政府の行政組織図がありましたが、私が気になったのは禁煙委員会です。
まさか省庁で「たばこ止めましょう」なんて組織はないはずなので、これはアヘンですね。

すごいなあ。省庁を置かなくてはならないくらいアヘンは大問題だったのですね。
でも最後は禁煙委員会がなくなっているあたり、状況は大きく改善したのでしょうか。


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こちらは事務所。レトロです。前日に行った美麗宮とよく似た感じなので、適当に流して見学。


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ここは各省庁(さっき見た組織図の〇〇部とか〇〇委員会とか)の展示の部屋。


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身分証明書みたいなのですが、このうちどれかはパスポートとして通用したのでしょうか。


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こちらは蒙蔵委員会(=蒙古・チベット関連部署)の展示。右は5歳のダライ・ラマ14世

むっちゃ笑顔でゴキゲンを取る左の国民政府の代表を胡散臭そうな目で見つめる男の子。
さすがの活仏様は、この時すでにコイツを信用してはならぬと見抜いたのでしょうか。

ちなみに、この展示には、

1940年11月31日に蒙蔵委員会委員長の呉忠信が国民政府を代表して
ラサのノルブリンカに赴き、14世ダライ・ラマの就任式を執り行った

とありましたが、ダライラマ法王側はそれを嘘だと主張しており、

呉忠信が就任式の数日後にダライ・ラマと個人的謁見をしたときのもの

だとしています。どちらが正しいのか私には判断できませんが、
この展示の写真、引きの写真じゃないからどこにいるのか分かりませんね。

別の写真を引っ張ってきて「これは〇〇の時の様子です」と紹介するのは
常套手段のような気がします。日本でもネットとかでは見かけるけど。

行政院を出た後は、最初すっ飛ばした所へ戻ります。
陶林二公祠は興味なかったので飛ばして(うまや)へ。


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随分とよく出来ていますが、時間が押しているのでチラッと見て通過。


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その後もいくつか飛ばし、晩清与民国歴史陳列という所にきました。ここも展示が多いです。


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社会問題のコーナーに来ました。英語でアンダーグラウンド・ギャングって書いてますな。


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娼妓(売春婦)。右上の写真の娼妓はどうみても10代前半にしか見えません。

左上の写真は上海の福州路、左下の写真は上海の女子按摩院だとか。
英語ではマッサージ・インスチチュートとあるので学校です。そんな養成所があったとは。


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賭博です。左下の写真は「道端で賭博をする下層民衆」だそうな。上層の人は賭博場に行くのかな。


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上海の旧競馬場。競馬場は今も武漢にありますけどね。
賭博に関してはマカオのカジノもあるし、ハマりすぎないように注意しましょう位の感じでしょうか。


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写真がブレてしまいましたが、アヘンです。どよーんとした気持ちにさせられます。


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晩清与民国歴史陳列の建物はこちら。
これが入口の方向ですが、私達は逆方向の北から戻ってきたので入口側に出ました。

これでやっと総統府の3つのエリアのうち2つを見終わりました。広すぎるー!

最後のエリアは煦園(くえん)という庭園のエリア。もう少し頑張ります。



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2014年07月26日

南京2日目 総統府2

2014年6月1日(日) 総統府 ~総統府会客庁&総統府文物史料陳列

総統府の続きです。


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この案内を見て、とりあえず中央に戻り、総統府会客庁に行くことにしました。
英語では「レセプション・ビルディング」と書いてあります。

集合写真が載っていますが、真ん中の人は蒋介石です。
蒋介石はこうやって、要人と会見した時いちいち集合写真を撮っていたみたいですね。

疲れたので、まずは中央のホールに戻ってベンチに腰かけて一休み。
雨が全然止まないので、どこもかしこもズブ濡れで座れる所が限られます。ツライ。(涙)

目の前には油絵が。

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躍動感いっぱいの作品「占領総統府」。一瞬ドラクロワのパクリかと思いましたが違います。
陳逸飛魏景山の合作だそうですが、陳逸飛は私でも知っている有名な画家です。

陳逸飛はファッションも手掛けていて、以前は上海に彼の店がいくつかありました。
そこで彼の油絵を初めて見ました。


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プロパガンダ・アートと言えばそれまでなのですが、この中心の人の表情がとても印象的でした。
とはいえ、この絵はきっと複製ですよね。こんな壁もない所に本物があるとは思えない。


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もう一つありました。こちらは「国父」。この画家は知らない人でした。
この絵の赤い色とか構図とか、「占領総統府」よりこっちの方が好みでした。

この夥しい人々には全部名前が書かれていました。全部建国にまつわる人々でしょうね。
孫文の左側には宋慶麗とその他の宋家の人々がいましたが、右は誰だったかな。

調べたら、この絵のオリジナルはどうも台北にあるらしいです。なんだかビミョー。

私達が休憩しているこの場所は、1912年に孫文臨時大総統に就任した時に
就任の儀式を行った場所のようでした。え、ここで?とビックリです。

南京というのは今は地方都市ですが、ついこないだまでは首都だったんですものね。

一休みを終えたら総統府会客庁に進みます。

相変わらずの大雨で、建物の外観の写真が全然撮れませんでした。人も多いし。
総統府会客庁は中華民国初めに建てられたモダンなコンクリートの建物でした。

なんか、今の総統府の中って建築様式がバラバラなんですね。不思議です。


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この部屋は総統府会客室です。しかしなぜにライオンの絵?

ここは休憩室および国内の賓客を接待する所だったそうな。
1946年には国民党と共産党の交渉も行われたと書かれていました。ダメだったのですね・・・。


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こちらは外賓接待室。その名の通り、外国人客を接待する部屋です。

元々は普通の接待室だったようですが、1946年に蒋介石が重慶から戻ってきて以降、
「外賓」の接待室になり、マーシャル等の外国要人をここで接待したとか。

無知なのでマーシャル以外の外国人が誰なのか説明を見ても分からんかった・・・。


さて、総統府会客庁を抜けると麒麟門という門があるのですが・・・

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この通り、屋根のある所には人々が殺到して、麒麟門など気づかず通り過ぎました
こんな混み合う中でもひっそりと場所を取って休憩するサラミ夫。(笑)


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人ごみを抜けて、次に行ったのがこちら、総統府文物史料陳列という場所。
1階も2階も展示のある部屋がいっぱいあり、見ごたえがありました。

旧日本軍の展示などもここに含まれるため、日本人の私にとっては一番ピリピリする場所でした。
でも展示はとても興味深かったです。

いくつも部屋があり、第一展庁から順番に見て回りました。


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中華民国の歴史が1912年から時系列で展示されています。


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もちろん蒋介石も。やっぱり冷たい顔。切れ長の目のせいでしょうかね。


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「防空学校卒業証書」とあります。校長は蒋介石。証書の上には孫文の写真も。

実は、ここの廊下で「なんでこんな所に日本人がいるんだ?」みたいな上海語の声が。
展示の内容的にも、南京という土地柄的にも、日本人がいるのが意外だったのかも。

この時は中国の連休だったせいで、上海からの旅行客が多かったのだと思います。
私が聞きとった上海語は「日本人」だけでしたが、私達が噂されていたのは明らかでした。

ただ、敵意のある声ではなく、単純に噂されていただけのようでした。
私のすぐ近くで声を発したのは若い男の子で、上海語だから分からないと思ったみたいです。


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わんさかいる人を避けて撮影していたのでヘンなアングルですが、
いきなり弱国外交の文字が目に入りました。

昨日の霊谷寺での南京条約の展示といい、ものすごい怨念を感じます。
やっぱり清朝末期から日中戦争終結までは、ひたすら屈辱の歴史なんでしょうね。

次の部屋は、日本占領時の展示でした。

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1937年12月13日の南京入城の時の写真でしょう。

このものすごい混み合った部屋の中で自分とサラミ夫だけが日本人だったので、
今ここでは絶対に日本語を喋るまいと思いました。

やはり展示内容が内容だけに、日本人だとバレると気まずいですわな。(^^;


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ちょっと光ってしまいましたが、こちらは汪兆銘です。

この人の展示の時は必ず「偽国民政府」などと「」の文字がついて回ります。
汪兆銘の国民政府は日本の傀儡なので、中国としては当然の表記でしょう。

軍人の蒋介石とは違い、あくまでも日本との和平を模索した彼ですが、中国共産党側から
見れば漢奸ですね。しかしそこまで日本が優しい国だと思ったんだろうか、彼は。


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汪兆銘が日本で頭山満と会談している時の写真。黒龍会のドンと書かれていますな。


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この場所に来て、何ともいえない気持ちになりました。
この日の丸の持ち主あるいは遺族は、ここに展示されていることを知らないでしょう。


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そして第二次大戦後の1946年に蒋介石が南京に凱旋。
この後ドロ沼の国共内戦に突入ですね。


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1949年ついに人民解放軍が総統府に入ります。


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総統府の門に上って解放を祝う人民解放軍の兵士たち。
この写真を見ていると、1975年の南ベトナムの解放のシーンを思い出しました。

この後、蒋介石は大陸を離れ台湾へ。
南京は、その後は地方都市の一つとして今に至るわけですね。

中国では、こういう歴史や政治に絡む展示の時は、
特に仰々しく「前置き」と「結論」がドドーンと展示されます。

ここでの結論はこうです。

展示の目的は、中華民国37年(←意外に短い)の歴史を理解し、
現在の中国を更に信じ、未来の中国に大きく期待を持つこと

とか何とか。覚めた目で見てしまいました。
でも、南京には歴史がギュッと詰まっていることはよく理解できました。

しかし、いつになったら総統府を全部見終われるのでしょうか。
見学はまだまだ続きます。(^^;

posted by サラミ at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月24日

南京2日目 総統府1

2014年6月1日(日) 総統府 ~清両江総督署史料展&洪秀全と天朝宮殿歴史文物陳列

この日の天気は大雨でした。

それはもうバケツをひっくり返したような雨で、上海では警報が出たほど。
しかし、南京もそれに劣らずすごい雨でした。

しかし、今日も観光に出かけねばなりません。今日の目的地は総統府です。
まず、地下鉄2号線で大行宮駅まで行き、そこから徒歩。

しかし、とにかくシャワーのような大雨です。大行宮駅から総統府までは近いのですが、
水はけが悪い上に途中の道路が工事中で水たまりだらけ。

私は大雨になることが分かっていたのでビーサンで南京に来ましたが、
夫はスニーカーを履いていたので歩くのに苦労し、最後は諦めてズブ濡れ。

途中、総統府近くの駐車場に間違って入ってしまったりしてアホみたいに迷いましたが、
何とか無事に総統府に到着しました。

が、こんな大雨にも関わらずものすごい人・人・人!


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入口の門です。大雨の中、私も傘を差して一眼レフを持っているので必死でした。
雨が強すぎて、獅子の像を入れて写真を撮る余裕さえなし。

入場は一人40元でした。チケット売り場はここを左に行った小さなチケット・オフィスにありました。


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中に入るとこんな石碑が。「孫中山臨時大総統府」と「南京国民政府」の跡地だとか。

元々は、明の永楽帝の次男の家があったところだそうで、その庭園「煦園(くえん)」は
今も敷地の西側に残っています。

ここの歴史変遷がややこしくて、

1.明が滅んで清代に入ると両江総督府が置かれる。(両江=今の江蘇・安徽・江西省と上海
2.1853年の太平天国の乱ではここを拡張して太平天国の天王府が置かれる。
3.太平天国の乱が鎮圧されて天王府が破壊されると両江総督府が再建される。
4.1912年辛亥革命が起こると中華民国臨時大総統府が置かれる。(「総統府」の由来)
5.1927年蒋介石による南京国民政府が置かれる。
6.1937年日本軍が侵略すると中華民国維新政府が置かれる。(1940年国民政府へ編入)
7.1940年汪兆銘の南京国民政府が置かれる。
8.1946年蒋介石が戻ってきて再び南京国民政府が置かれる。
9.1948年蒋介石が中華民国総統になり、2代目「総統府」となる。台湾脱出の1949年まで。

・・・とまあ、私が調べた限りではザッとこんな感じで、この色んな資料が展示されているのが
総統府です。チケットには「南京中国近代史遺址博物館」とも書かれています。

中の敷地は広すぎてものすごく分かりにくかったので、ここに地図を貼りつけます。
クリックで拡大します。画像が荒くてすいません。


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敷地は、真ん中の薄オレンジ色、右の青色、左の緑色煦園(くえん)
の3つに大きく分かれているようです。

まず真ん中から入り、赤い矢印に沿って順路を進みますが、
あいにくの大雨の上に所々屋根がないもので、私達は適当に進みました。


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まずは中央の大堂の中へ。孫文の手による「天下為公」の扁額が。

本当は、順路はこのまま真っ直ぐ奥まで進んで行くのですが、何しろものすごい人だったので、
次の中堂(二堂)に行く前に右に曲がり、「清両江総督署史料展」という部屋に入りました。

この部屋は個人的にとても面白かったのですが、すさまじい人数の見学者がいて
ほとんどまともな写真は撮れていません。

壁に掲げられていた説明文を読んでフムフムと感心していたのですが、文章の最後が
ここは愛国主義教育の良い素材です。」でしめられていて、ちょっとうんざり。(^<>^;


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我ながら、なんでこのアングルかなー、と。おそらく総督の服装を展示していたのだと思います。
私が気になったのはこの靴です。なんでこんな厚底なんでしょうかね。冬用かな?


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こちらは李鴻章。なんでも、この人も両江総督だったとか。



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こちらは曽国藩。李鴻章の師匠ですね。同じく両江総督だったそうな。
私は太平天国の乱を鎮圧した人ということ以外、あまり知りませんでした。

ここの展示には清朝官職品級服飾表という表もあり、清朝のお役人の服装の説明が
とても興味深かったのですが、写真失敗しました。うー。

表に「頂戴」と書いてあり、ちょうだいって何?と一瞬思いましたが、
中国語から想像して、テッペンに戴くものだから帽子の一番上についている丸いヤツですね。
あれが珊瑚だと位は正一位と従一位だとか、見るとお役人の位がすぐ分かるらしい。

胸の刺繍の柄なども色々位があるそうで、覚えると面白いと思いました。

実はこの旅行のあと、浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んだのですが、
ここの展示のおかげで、清朝末期の役人達の服装の描写がよく理解できました。


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こちらは両江総督署の大堂(メインホール)だそうな。
どうもオリジナルではないみたいですが。

次に行ったのは「洪秀全与天朝宮殿歴史文物陳列」という太平天国の乱にまつわる部屋。
(与=日本語の「と」)


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いきなり太平の文字が現れます。思わず記念写真を撮るサラミ夫でありました。


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中には太平天国が置いた天王府という宮殿の模型がありました。
随分と規模が大きかったのですね。

でも説明を見ると、1853年に南京を天京と改めて入城して1864年に陥落なので、
たった10年余りの短期間だったのですね。


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こちらは自ら天王と名乗った洪秀全の像


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太平天国の展示は立派な伝統家屋の中にあったのですが、この豪雨のせいで
真ん中を突っ切ったり、せっかくの古い庭園をぶらついたりできませんでした。(涙)


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こちらは天王機密室。洪秀全が書類を閲覧したり、秘密会議を開いたりした所だとか。


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こちらの派手な部屋は天王玉座。謁見したり勅書を発布したり、とまるで皇帝のような。


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サラミ夫がビデオカメラのズームで撮影。玉座のアップです。中央に思いっきりが。
どこからどう見ても、これは歴代皇帝の玉座のマネでしょう。

太平天国がいくらキリスト教だとはいえ、当時はまだ中国的な思想から逸脱できるはずもなく。

天草四郎はもっとエキゾチックだと思っていましたが、外国人から見ると彼もこんな感じなのか?
(いや、映画「魔界転生」のイメージが強すぎるのですが。)

まだまだ総統府のほんの一部しか見ていませんが、見ごたえがあってなかなか先に進めません。

本当は、午前だけでここの見学を終えるつもりでしたが、大雨で出発が遅れたこともあり、
あっという間にお昼前になってしまいました。

まだまだ頑張って見学を続けます。

posted by サラミ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月23日

南京2日目 金陵飯店の朝食@梅苑

2014年6月1日(日) 金陵飯店の朝食@梅苑

今回の宿泊プランはホテルの朝食がついていました。
チェックインの時、会場は2階だと言われていたのでその通りに2階へ。


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プラム・ガーデン(梅苑)という中華料理レストランが会場のようでした。
豪華な場所なのはいいのですが、朝食の時間が9時半で終わるってどやねん。


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隣の看板には、南京名物の塩水鴨が。こんな贈答用の立派なのがあるとは。

入口には表情のないザ・ローカルな女性スタッフが立ち、中に通してもらうと、
なんだか会場が狭い。料理も少ない。しかも品切れしてから補充がめちゃくちゃ遅い。

そして、お皿がない。待てど暮らせどお皿が来ない。(怒)

大型ホテルにしては食事している客もえらく少ない。
外国人客は皆無。ローカルなおじさんおばさんが目立ちます。

一応五つ星なので、それなりにまともだろうと思っていたのですが、期待外れでした。


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食べたいものが本当に少なくて、ヘンな海苔巻きとか取ってしまいました。
味はローカルのホテルっぽく、ハムとかベーコンとかが不味いです。

もうなんだかガッカリです。地方の3つ星レベル。(地方なのですが。)


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一方、パンはローカルにしてはまずまずいけました。
パンが甘くてダメダメなローカルのお店は多いです。

でも、大して食べたい料理はないし、人気そうな料理は補充が来ないし、
ジュースももちろん不味いし、おかわりしたくもありませんでした。

思いっきり不満を募らせて会場を後にしました。


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この通り、2階というか中2階みたいな場所でしたが、レストランそばのラウンジは立派です。
ただし、ここをがチュンチュン飛びまくっていましたが。す、すずめ?!ってビックリ。


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吹き抜けの1階ロビーを見下ろすと広くて豪華に見えるんですけどね。
中国特有の、ロビーだけアホみたいに広くて豪華絢爛であとはボロい、みたいな。

もうちょっと垢抜けているのかと思っていたけど、ローカルはやっぱりダメですね~。

でも実は、この日の夜ホテルの部屋に戻ったら、「明日の朝食会場は場所が変わります。
との手紙が。そちらのレストランの朝食は同じホテルとは思えないちゃんとしたものでした。

部屋にあった館内案内を見ても、エグゼクティブ・ルームの客は朝食会場が別の場所だったし、
この日のプラム・ガーデンでの朝食は、チェックイン時の案内間違いだったのではないかと、
私は今でも疑っています。途中で気づいて手紙を部屋に入れたのではないかと思うのですが。

どうせなら、2日ともちゃんとした方で朝食を食べたかったな。(涙)

posted by サラミ at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月21日

南京1日目 アヤシイ乗り物に乗る

2014年5月31日(土) アヤシイ乗り物に乗る

食事を終えた後、地下鉄でホテルまで戻ろうと歩き出したら、妙な光景が。


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楽しそうに猪八戒と記念写真を撮っている人がいるではないか。

なんだか楽しそうだったので、思わず私達もつられて猪八戒の元へ。

が、私が猪八戒の横に立った時、猪八戒の着ているマントの裏に、「一人10元」と
書いた布が貼っているのが見えてしまいました。(^^;

サラミ夫に声をかけましたが、もうすでにサラミ夫との2ショットは撮ってしまった後で、
夫ももうどうすることもできず、何となくゴキゲンなまま私の2ショット写真も撮影。

そのまま知らん顔して立ち去ってみましたが、やっぱり猪八戒は追いかけてきました。
いや~、そんなん知らんで~、と笑いつつ、10元で勘弁して~、と10元払って逃げてきました。

思えば、あんなヤツ、お金もらってるに決まっているのです。古典的な商法。

が、あまりに中国の人が嬉しそうに記念写真を撮っていて、
その後お金を払っている様子が見えなかったので、気を抜いてしまいました。

猪八戒は10元もらったので、その後は私達を追いかけてくることはありませんでした。

南京でアホな経験をしたサラミ夫婦でした。

その後、地下鉄の三山街駅に着くと、入口のシャッターが閉まっていて張り紙が。

不運なことに、その日だけ地下鉄工事の影響で19時で地下鉄が終了してしまったらしい・・・。
仕方なくタクシーを探すも、全然つかまりません。およよ・・・。

最終的につかまったのは3輪タクシーでした。上海の街中ではさすがにいないなぁ。


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というわけで、太ったおじさんの後ろにサラミ夫と並んで2人座りました。
3輪タクシーは自転車・バイクのレーンをぐんぐん走っていきます。

ホテルまでは地下鉄2駅分をただ真っ直ぐ北上するだけでカーブもないし大丈夫だったのですが、
このおじさんの運転は荒くて、バイクレーンの他の人や自転車などをなぎ倒しそうな勢いでした。


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おじさんもですが、私達の体もむき出しなのでヒヤヒヤでした。
横スレスレにバスは通るし、南京でまさかこんな乗り物に乗るとは思いもしませんでした。


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そしてホテルに面した路上で降ろされました。車寄せまでは行けないとか何とか。
こんなアヤシイ乗り物がまだまだ活躍している南京は、ホンマに省都なんですか???

おじさん、さっそく別の客と交渉を始めました。人気の乗り物のようです。


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まさかこんな立派なホテルに3輪タクシーで戻ってくるなんて。
いくら払ったか忘れてしまいましたが、許容範囲だったかと。


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ホテルの部屋に戻るとフルーツのサービスが。
一応この部屋はエグゼクティブ・フロアーなのでありました。

南京の1日目を終えてみると、サントリーのウーロン茶の無糖もお店で売ってないし、
なんだか南京って予想より田舎なのかも、という印象になりました。

というより、上海だけが中国大陸の中で突き抜けて別世界なんだな。

それにしても、ひたすら歩いた1日目でした。


posted by サラミ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする
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