2014年6月1日(日) 総統府 ~子超楼&防空壕&行政院&晩清と民国歴史陳列
またまた総統府の続きです。(いつ終わるのか自分でも分かりません。)
総統府文物史料陳列を見た後は、そのまま真っ直ぐ進みました。

続いて総統府弁公楼(子超楼)へ。少し雨が上がりました。

中はこういう作りですが、私はもう足が棒になってしまったのと、昨日の美麗宮に似ていたことから
3階の国務会議庁は見ていません。でも惜しいことをした~。
2階の蒋介石のオフィスです。元々は国民政府主席のオフィスですが、日本の占領期間を経て、
1948年に蒋介石が総統に就任してから「総統弁公室」に名前も変更された模様。
ちなみに、この場所をゲットして写真撮るの大変だったのです。
こんなに混雑してましたからね。総統府はやはり平日に来るに限ります。
ざっと見て、子超楼を出ました。私が立っているこの場所は庭園でしたが、
ここもおぞましいほどの人・人・人だったので、庭園の写真を撮る気にはなれず。
次に向かったのは防空壕です。ホーチミンの統一会堂みたいに何かあるのでしょうか。わくわく。
と思ったら何もありませんでした。
説明によると、1934年に先ほど見た国民政府弁公楼を建てた時にこの防空壕も作ったとか。
当時は日本軍の戦闘機が頻繁に飛来していたらしいです。
また、1949年の解放前夜、総統府の役人が持ち運べない書類をここで大量に燃やしたそうな。
次に向かったのは行政院という建物ですが、ここはスルーしました。
1920年代の建築だそうな。
先ほどの行政院を通り抜けると南にもう一つ行政院が。行政院は北と南に2つ建物があります。
こちらは少し新しく1934年に建てられたとか。
中の展示は国民政府行政院文物史料陳列です。陳列が多いです。

国民政府の行政組織図がありましたが、私が気になったのは禁煙委員会です。
まさか省庁で「たばこ止めましょう」なんて組織はないはずなので、これはアヘンですね。
すごいなあ。省庁を置かなくてはならないくらいアヘンは大問題だったのですね。
でも最後は禁煙委員会がなくなっているあたり、状況は大きく改善したのでしょうか。
こちらは事務所。レトロです。前日に行った美麗宮とよく似た感じなので、適当に流して見学。
ここは各省庁(さっき見た組織図の〇〇部とか〇〇委員会とか)の展示の部屋。
身分証明書みたいなのですが、このうちどれかはパスポートとして通用したのでしょうか。

こちらは蒙蔵委員会(=蒙古・チベット関連部署)の展示。右は5歳のダライ・ラマ14世。
むっちゃ笑顔でゴキゲンを取る左の国民政府の代表を胡散臭そうな目で見つめる男の子。
さすがの活仏様は、この時すでにコイツを信用してはならぬと見抜いたのでしょうか。
ちなみに、この展示には、
1940年11月31日に蒙蔵委員会委員長の呉忠信が国民政府を代表して
ラサのノルブリンカに赴き、14世ダライ・ラマの就任式を執り行った
とありましたが、ダライラマ法王側はそれを嘘だと主張しており、
呉忠信が就任式の数日後にダライ・ラマと個人的謁見をしたときのもの
だとしています。どちらが正しいのか私には判断できませんが、
この展示の写真、引きの写真じゃないからどこにいるのか分かりませんね。
別の写真を引っ張ってきて「これは〇〇の時の様子です」と紹介するのは
常套手段のような気がします。日本でもネットとかでは見かけるけど。
行政院を出た後は、最初すっ飛ばした所へ戻ります。
陶林二公祠は興味なかったので飛ばして厩(うまや)へ。
随分とよく出来ていますが、時間が押しているのでチラッと見て通過。
その後もいくつか飛ばし、晩清与民国歴史陳列という所にきました。ここも展示が多いです。
社会問題のコーナーに来ました。英語でアンダーグラウンド・ギャングって書いてますな。

娼妓(売春婦)。右上の写真の娼妓はどうみても10代前半にしか見えません。
左上の写真は上海の福州路、左下の写真は上海の女子按摩院だとか。
英語ではマッサージ・インスチチュートとあるので学校です。そんな養成所があったとは。
賭博です。左下の写真は「道端で賭博をする下層民衆」だそうな。上層の人は賭博場に行くのかな。
上海の旧競馬場。競馬場は今も武漢にありますけどね。
賭博に関してはマカオのカジノもあるし、ハマりすぎないように注意しましょう位の感じでしょうか。

写真がブレてしまいましたが、アヘンです。どよーんとした気持ちにさせられます。
晩清与民国歴史陳列の建物はこちら。
これが入口の方向ですが、私達は逆方向の北から戻ってきたので入口側に出ました。
これでやっと総統府の3つのエリアのうち2つを見終わりました。広すぎるー!
最後のエリアは煦園(くえん)という庭園のエリア。もう少し頑張ります。































