2013年04月12日

アルバニア1日目 世界遺産ベラットへ

2012年10月5日(金) 謎の地点からミニバスで世界遺産ベラットへ (バルカン旅行7日目)

自分達がどこいいるのか分からないという事態になりました。(笑)
しかし、今更どうしようもないので、ここでベラット行きのバスを待つしかありません。


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道の反対側に渡って周りを見回しても、ここの地名を表すような標識や看板はありません。

しかし、よく見ると大きな荷物を持って人が集まっているし、向こうの青い看板には
Komatas Tours」というバス会社らしき名前と、ティラナアテネなどの地名が。

さては、この辺りはバス乗り場なんだな。


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私達は焼きとうもろこし売りのお二人の横でちょこっとバスを待たせてもらうことにしました。
ベラット!」と言うと、お二人とも一緒になってベラット行きのバスを探してくれました。

アルバニアの人、いきなり親切です。

しかし、さっきまで乗って来たティラナ行きのバスを降りて、道の反対側でミニバスを待つとは、
一体どういう経路でベラットまで行くのでしょう。少し戻って南下するのでしょうか。

道端で車を見ていると、フロントガラスに手書きの行き先表示板を掲げたミニバス
かなりたくさん走っています。しかし、どれも個人で勝手にやっている様子。
営業許可とか取っているようには見えません。

何かで読んだのですが、アルバニアには国内のバスを一括管理する機関がないので、
アルバニア全土のバスのスケジュール表が存在しない、ということでした。

おそらく、〇〇というバス会社のスケジュールだけなら分かるけど、
AからBに行くバスの時刻表は(会社が混在するので)その土地に行かないと分からない。

しかも、ミニバスは(思うに)勝手に営業しているので、ちゃんとしたバスターミナルがなく、
その土地で地元の人に乗り場を聞かないと絶対に分からない。

・・・ということなのだと思います。

だから、今回のように、朝早く出発して、行き当たりばったりで聞くしかないのですね。

アルバニアにだって国土交通省みたいな官庁はあると思うんですけどね。(^^;

うーん、あまりにも遅れていて国の体を成していないではないか。
この辺り、2012年の2月に行ったミャンマーとあまり変わらないかも知れません。

ちなみに私達は旅行前、アルバニアでどのルートをミニバスが走っているのか参照するため、
こちらのサイトを見て、印刷した紙も現地に持って行きました。(気休め程度ですが。)

サイト内の「Furgon」というのはミニバスのことです。


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おお!前に「BERAT」と手書きしたミニバスが来ました。待ち時間なんと10分
何時間待つのかと覚悟していたら、むちゃくちゃ早いではないか!


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大きなスーツケースも、この通り後ろに貨物スペースがあるので大丈夫でした。

とうもろこし売りのお二人にお礼を言ってバスに乗り込みました。


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前から3列目に乗りました。バスは終点まで行く人はほとんどいなくて、途中で降りたり、
また乗って来たりの繰り返し。

写真に写る前の席右側の赤毛ウェーブの彼女はすごかった。

携帯で音楽をガンガンかけ、途中で赤ちゃんがお母さんと乗ってくると喜んで抱っこし、
その赤ちゃんにハグ&キスの嵐。赤ちゃんが嫌がっても全くやめようとしません。
最後にはとうとう赤ちゃんが泣きだしてしまいましたが、それでもキスをやめません。(笑)

他人との距離の近さというか、厚かましさというか人情に溢れた感じというか、
ガンガンくるラテンな感じというか、アジアと中南米がごちゃまぜのような気がしました。

てか、イタリアの影響もあるのか?ここヨーロッパだし。

道は悪く、ミニバスがボンボン跳ねました。
そんな中でも、手持ちの食料を時々食べたりしながら、車窓を眺めていました。


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トーチカ。


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こちらにもトーチカ2つ。


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手前にもトーチカ。確かに多いわ、トーチカの数。(笑)


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そのうち、普通の家がチラホラと見えてくるようになりました。町に入ってきたかな?

そして、ついにベラットに到着。


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ここで降ろされました。バスターミナルではなく、その南側の広場でした。
ここが一応ベラットの中心地のようです。到着時間は大体14:30

ティラナまで行ってバスを乗り換えるより、およそ2時間ほど短縮できたと思います。

私達はミニバスに乗り込んだ時にお金を払っていないので、ここで支払い。
料金は1人500レクでした。(レク=アルバニアの通貨)


11berat_map.jpg

広場にはこのような地図があったのですが、北と南が逆でした。(日本語は私が追加。)

それでは、予約しているホテル・オスミ(Hotel Osumi)まで歩きます。



posted by サラミ at 14:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 12アルバニア | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

アルバニア1日目 謎の地点で降ろされる

2012年10月5日(金) 謎の地点でバスを降ろされる (バルカン旅行7日目)

マケドニアのストゥルーガを出発したティラナ行きのバスは順調にアルバニアに入国し、
ほどなくして休憩のために停車しました。

バス会社の公式サイトのスケジュールでは「Qafë Thanë」という所で30分停車するので、
それがこの時の休憩の場所だったのではないかと思います。



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大型バスも余裕の駐車スペース。これはきっとツアーでも使われてるだろうな。


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しかし周囲は結構ボロボロ。トイレに行ったら便座がありませんでした。(^^;
そういやイタリアの公衆トイレも便座取れてたなあ。似た者同士でしょうか。


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ミニ・マーケットもありました。どこの国の商品が多いんだろう。イタリアかな?


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サラミ夫がキットカットを買ってきました。ネッスルはどこでも見ますね。

さて、私達は、ベラット(ベラト/Berat)という世界遺産の町に行くため、ティラナ行きのバスを
途中のエルバサン(Elbasan)という町で降りてミニバスに乗り換える予定でいました。

しかし、バスが再び出発した時、2人の運転手のうち運転していない方の人が私達の所に来て、

「エルバサンからは道が悪くなるから別の場所で降りろ。俺に任せろ!」

みたいなことを言われ、その通り従うことにしました。


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バスは町の中を走り始めました。なんでこんなに渋滞しているのでしょうか。


8.JPG

道路標識もフツーにありました。でも距離は出ていません。

突然、「ここで降りろ」と指示されました。バスの休憩からそんなに時間は経っていません。

仲よくしてくれたマケドニア人夫婦に笑顔で手を振りつつ、慌ててバスを降りました。
道を渡って反対側でベラット行きのバスを待て」と言われたのですが・・・。


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どこやねん、ここ。(ー"ー;


10.jpg

道路標識を見ると、なんか方向的にそっちじゃないでしょうという地名が。
ティラナが私達の背後にあるはずなのに、ティラナの南のフィエルとかがそっち?

アルバニアの道路が全然分からん・・・。

エルバサンよりは相当手前で降ろされた感じがします。

地図を確認すると、エルバサンより西にLibrazhdという町がありますが、
そこじゃないような気がするなあ・・・。いや、そこかなあ・・・。

てなわけで、未だにこの場所がどこなのか分からずにいます。

さすがは期待を裏切らないアルバニア。ベラットには辿り着けるんでしょうか。

posted by サラミ at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 12アルバニア | 更新情報をチェックする

2013年04月10日

アルバニア1日目 アルバニアの歴史

2012年10月5日(金) アルバニアの歴史 (バルカン旅行7日目)

マケドニア・コソボ旅行からの続きです。

私達は今朝マケドニアのオフリドを出発し、オフリド→ストゥルーガ(タクシー)、
ストゥルーガ→エルバサン(ティラナ行き長距離バス)というルートで
アルバニアの世界遺産の街ベラット(ベラト/Berat)を目指しています。

エルバサンからはミニバスに乗り換える予定です。

さて、バスがアルバニアに入国すると、のどかな山の風景が広がりました。


1.JPG

アルバニアは海に面しているけど、山も多いんだな~、と実感。

と、いきなりトーチカ発見!

2.JPG

これです!このガンダムのザクの頭みたいなやつ!これは昔のトーチカの残骸です。
ちなみに、トーチカというのはただの防空壕でなく、ウィキペディアには「防御陣地」だとあります。

アルバニア全土にトーチカがまだ残っているという話でしたが、こんないきなり現れるとは。
コーフン冷めやらぬサラミ夫婦。特に夫はガンダムファンゆえに感激もひとしお。

こんな軍事的なものがまだ残っているアヤシイ国アルバニア

やっぱりここは、この国の歴史にも触れなければならないでしょう。

私が事前に予習したところによると、アルバニア人はずっと統一国家を持っていませんでした。
だから、第二次世界大戦が終わるまで、アルバニアは延々とどこかの国の一部なのでした。
(短期的にチョロッと独立したのは除いて。)

古代ギリシャの植民地から始まり、ローマ帝国、ビザンツ帝国と来て、他のバルカンの国と同様
オスマン・トルコの支配が何世紀も続きます。(←ここでアルバニア人の大半がムスリムに改宗。)

この間、アルバニアが独立していたのはスカンデルベクという中世アルバニアの英雄が
15世紀にオスマン・トルコに反旗を翻した、たった40年足らずのみ。

やっと民族意識に目覚めた19世紀、独立を宣言してもいまいちパッとせず、
ムッソリーニのイタリアに占領され、イタリアが降伏した後はナチス・ドイツに占領され・・・

と、独立するまで他国に振り回されまくってきたのがアルバニアです。

第二次大戦の時にはファシズムに対抗するため共産党とパルチザンが活躍し、
戦後の1946年に晴れて共産主義政権の独自の国が成立します。

しかし、ここからアルバニアは頑固一徹。

スターリンLOVEだったエンヴェル・ホッジャ(Enver Hoxha)という独裁者の元
アルバニアは独自の道を突き進み、ソ連と対立したユーゴスラビアと断交し、
スターリン批判をしたフルシチョフ時代にはソ連とも断交して中国と接近。

中国の文化大革命にいたく感銘を受けたホッジャは「無神国家宣言」を行って
宗教を完全に否定。(←この影響でアルバニアは無神論者も多いとか。)

仮想敵国(=ソ連)を設定し、国中に50万以上のトーチカを設置。
この後、中国がアメリカに接近して改革開放路線に転換すると中国とも断交

・・・てなわけで、星一徹のような頑固なアルバニアは、最終的に鎖国状態
最後の頼みの綱だった中国の援助もなくなってヨーロッパ一の最貧国に陥ります。

1985年に恐怖の独裁者ホッジャが死去し、そこから徐々に改革開放路線に転換。
1990年には共産党の一党独裁を放棄します。

しかし、急速な市場経済導入により国が混乱し、
国民の半数以上がネズミ講に参加

国もそれを黙認していたものの、最終的には破綻して1997年に暴動が起こったという、
ギャグみたいな結末を迎えます。(詳しくは1997年アルバニア暴動を。)

こんなわけで、アルバニアは「ヨーロッパ最後の秘境」とか「謎の国」とか言われるのです。


map.png

ま、国旗もこんなんだし。どう見ても悪の帝国やん。(^^;
でもインパクト大で結構好きです。

インフラボロボロは覚悟の上でのアルバニア入りです。
アジアの発展途上国だと思って旅を続けます。

posted by サラミ at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 12アルバニア | 更新情報をチェックする
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