2013年03月26日

マケドニア3日目 聖パンテレイモン教会

2012年10月3日(水) 聖パンテレイモン教会@オフリド (バルカン旅行5日目)

サミュエル要塞を後にして最後に目指すのは、湖畔に佇む聖ヨハネ・カネヨ教会です。

が、地図を見ると、「Plaosnik」と呼ばれる聖パンテレイモン教会などがある場所を
必ず通らなければなりません。じゃ、取りあえずそちらの方向へ。


1.JPG

これがすぐ近くにあった標識です。「St. Kliment」とはガイドブックの聖パンテレイモン教会のことで、
BASILICA」とは初期キリスト教のバシリカのことです。


2.JPG

実は、これはサミュエル要塞に来る前に見た別の標識です。

ここでは、聖パンテレイモン教会が、
Sts. Clemet and Pantheleimon」と表記されています。

私達は次の日に、マケドニアの教会と修道院という分厚い本を購入したのですが、そこでは
Monastery of St. Kliment of Ohrid and St. Pantelejmon
という名前になっています。

どうも、聖パンテレイモン教会は、「聖クリメント&聖パンテレイモン教会」が
本当の名前のようです。紛らわしい・・・。

私達がウロウロしていると、サミュエル要塞で出会ったアメリカ人男性もそこにいました。
どうやら行き先が同じようなので、話をしながら一緒に歩いて行きました。

彼はロンリープラネット1冊だけ持っていました。
お互いの地図とガイドブックで確かめ合いながら歩いていきました。


3.JPG

そうして到着した初期キリスト教のバシリカ。5世紀のものだそうです。
この辺り一帯全部が「Plaosnik」と呼ばれるエリアみたいで、今も発掘作業の最中でした。


4.JPG

どうも昔と同じように再建しているようですね。

マケドニアの教会の本の説明によると、ここ「Plasnik」には初期キリスト教のバシリカが2つあり、
1つが多分この再建中の建物で、もう一つは、今はその上に聖パンテレイモン教会が建っている
のだそうな。

この1つ目のバシリカには、オリジナルのモザイクの床洗礼場が残っているらしいのですが、
なんと某ガイドブック(〇〇の歩き方ってヤツ)にはここの説明が全く載っていないので、
場所の重要性が分からず、すっ飛ばしてしまいました。(怒)

ちなみに、2008年からの発掘調査で3つ目のバシリカらしき跡も見つかったそうですが、
詳細については今後の調査を待つ、ということらしいです。

この場所の発掘調査はまだまだ何年も続くと思われます。


5.JPG

こちらがバシリカの脇にある聖パンテレイモン教会と、なぜかカフェの看板。
どうもネットができるカフェがすぐ近くにあるようです。日本の旗も載せてくれてありがとう。


6.JPG

またまたマケドニア教会の本によると、この教会は2002年7月に再建されたのだそうな。
でも再建してから10年も経っているようには見えず、せいぜい1~2年前みたいな雰囲気。

それにしても、すでに日が落ちかけている。やばい!


7.JPG

教会入口の上には聖クリメントのモザイクが。新しいです。

さて、なんでこの聖パンテレイモン教会が地元の看板で「聖クリメント教会」になるのか。

手元の本の説明では、ここは聖パンテレイモンに奉納した(dedicated)教会だと書いてあります。
で、この教会は893年頃に修道院として建てられ、建てたのは他でもない聖クリメントです。

聖クリメントはスラブ世界では大変重要な聖人です。

彼は聖ナウムと共同でキリル文字を考案し、初めてスラブ語で説教をし、著述をし、
ここPlaosnikに修道院を作り、オフリド司教になりました。

また、9世紀~10世紀にはここに最初のスラブ大学が創設されたそうな。
とはいえ、別名が文学スクールというので、今の大学機構とは違うのでしょうけど。

今はただ教会や遺構がポツンと残るだけの場所ですが、当時はこの修道院が
文化・芸術・教育の中心地であったのだそうです。

また、聖クリメント亡き後、彼の聖遺物(どうも腕らしいですが)は、
この聖パンテレイモン教会に納められたそうです。
ただし、オフリドがオスマン・トルコの手に落ちる直前まで。

14世紀後半にオスマン・トルコがやって来た後、この教会は聖ソフィア教会と同じく、
モスクに改装されてしまったのだそうな。

その後、彼の聖遺物は、何と私達が泊まっていたホテルの目の前にあった
Mal Sveti Kliment 教会に移送されたそうです。知らんかったー!

さらに再度Mal Sveti Kliment 教会から、聖クリメント教会
(現地の標識では
Church Mother of God Perivleptos)に移送。

そして2002年、聖遺物は晴れて聖パンテレイモン教会に戻されたそうな。

これだけ聖クリメントと縁のある教会なら聖クリメント教会と呼びたくなるのも
ムリもないですね。しかも聖遺物も納められてるし。

おそらく、オフリドの人は聖クリメントの聖遺物が置かれた教会を
全部「聖クリメント教会」と呼んでいた(いる?)ような気がします。


気持ちは分からんでもないけど、観光業としてはそれはどうなのか?
とギモンを感じるところでもあります。分かりづらいし。


8.JPG

誰もいなかったので一枚。中も新しいです。
古いフレスコ画がなかったので、ガイドブックに載っていないのかもなぁ。


9.JPG

教会の逆方向に回ってきました。夕日が当たってこちら側は眩しい。


10.JPG

左は聖クリメントで右は聖パンテレイモン。
聖パンテレイモンは医師だったので、片手に必ず薬箱を持った姿で描かれるとか。

実は、のうのうと後で知ったことを追加して述べましたが、この教会を見ていた時、
私はここを聖ヨハネ・カネヨ教会と勘違いしていたのです。

あんまりちゃんとガイドブックで教会の姿を確認していなかったし、地図が何より分かり難くて。
でも、湖畔とは言い難いし変だなあ、と思っていたのです。

まだ目的地に到達していなかったとは知らずにまったりしていましたが、
ここが別の場所だと知り、聖ヨハネ・カネヨ教会に向けて改めて出発しました。(^<>^;




posted by サラミ at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 12マケドニア・コソボ | 更新情報をチェックする
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