2014年07月26日

南京2日目 総統府2

2014年6月1日(日) 総統府 ~総統府会客庁&総統府文物史料陳列

総統府の続きです。


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この案内を見て、とりあえず中央に戻り、総統府会客庁に行くことにしました。
英語では「レセプション・ビルディング」と書いてあります。

集合写真が載っていますが、真ん中の人は蒋介石です。
蒋介石はこうやって、要人と会見した時いちいち集合写真を撮っていたみたいですね。

疲れたので、まずは中央のホールに戻ってベンチに腰かけて一休み。
雨が全然止まないので、どこもかしこもズブ濡れで座れる所が限られます。ツライ。(涙)

目の前には油絵が。

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躍動感いっぱいの作品「占領総統府」。一瞬ドラクロワのパクリかと思いましたが違います。
陳逸飛魏景山の合作だそうですが、陳逸飛は私でも知っている有名な画家です。

陳逸飛はファッションも手掛けていて、以前は上海に彼の店がいくつかありました。
そこで彼の油絵を初めて見ました。


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プロパガンダ・アートと言えばそれまでなのですが、この中心の人の表情がとても印象的でした。
とはいえ、この絵はきっと複製ですよね。こんな壁もない所に本物があるとは思えない。


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もう一つありました。こちらは「国父」。この画家は知らない人でした。
この絵の赤い色とか構図とか、「占領総統府」よりこっちの方が好みでした。

この夥しい人々には全部名前が書かれていました。全部建国にまつわる人々でしょうね。
孫文の左側には宋慶麗とその他の宋家の人々がいましたが、右は誰だったかな。

調べたら、この絵のオリジナルはどうも台北にあるらしいです。なんだかビミョー。

私達が休憩しているこの場所は、1912年に孫文臨時大総統に就任した時に
就任の儀式を行った場所のようでした。え、ここで?とビックリです。

南京というのは今は地方都市ですが、ついこないだまでは首都だったんですものね。

一休みを終えたら総統府会客庁に進みます。

相変わらずの大雨で、建物の外観の写真が全然撮れませんでした。人も多いし。
総統府会客庁は中華民国初めに建てられたモダンなコンクリートの建物でした。

なんか、今の総統府の中って建築様式がバラバラなんですね。不思議です。


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この部屋は総統府会客室です。しかしなぜにライオンの絵?

ここは休憩室および国内の賓客を接待する所だったそうな。
1946年には国民党と共産党の交渉も行われたと書かれていました。ダメだったのですね・・・。


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こちらは外賓接待室。その名の通り、外国人客を接待する部屋です。

元々は普通の接待室だったようですが、1946年に蒋介石が重慶から戻ってきて以降、
「外賓」の接待室になり、マーシャル等の外国要人をここで接待したとか。

無知なのでマーシャル以外の外国人が誰なのか説明を見ても分からんかった・・・。


さて、総統府会客庁を抜けると麒麟門という門があるのですが・・・

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この通り、屋根のある所には人々が殺到して、麒麟門など気づかず通り過ぎました
こんな混み合う中でもひっそりと場所を取って休憩するサラミ夫。(笑)


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人ごみを抜けて、次に行ったのがこちら、総統府文物史料陳列という場所。
1階も2階も展示のある部屋がいっぱいあり、見ごたえがありました。

旧日本軍の展示などもここに含まれるため、日本人の私にとっては一番ピリピリする場所でした。
でも展示はとても興味深かったです。

いくつも部屋があり、第一展庁から順番に見て回りました。


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中華民国の歴史が1912年から時系列で展示されています。


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もちろん蒋介石も。やっぱり冷たい顔。切れ長の目のせいでしょうかね。


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「防空学校卒業証書」とあります。校長は蒋介石。証書の上には孫文の写真も。

実は、ここの廊下で「なんでこんな所に日本人がいるんだ?」みたいな上海語の声が。
展示の内容的にも、南京という土地柄的にも、日本人がいるのが意外だったのかも。

この時は中国の連休だったせいで、上海からの旅行客が多かったのだと思います。
私が聞きとった上海語は「日本人」だけでしたが、私達が噂されていたのは明らかでした。

ただ、敵意のある声ではなく、単純に噂されていただけのようでした。
私のすぐ近くで声を発したのは若い男の子で、上海語だから分からないと思ったみたいです。


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わんさかいる人を避けて撮影していたのでヘンなアングルですが、
いきなり弱国外交の文字が目に入りました。

昨日の霊谷寺での南京条約の展示といい、ものすごい怨念を感じます。
やっぱり清朝末期から日中戦争終結までは、ひたすら屈辱の歴史なんでしょうね。

次の部屋は、日本占領時の展示でした。

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1937年12月13日の南京入城の時の写真でしょう。

このものすごい混み合った部屋の中で自分とサラミ夫だけが日本人だったので、
今ここでは絶対に日本語を喋るまいと思いました。

やはり展示内容が内容だけに、日本人だとバレると気まずいですわな。(^^;


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ちょっと光ってしまいましたが、こちらは汪兆銘です。

この人の展示の時は必ず「偽国民政府」などと「」の文字がついて回ります。
汪兆銘の国民政府は日本の傀儡なので、中国としては当然の表記でしょう。

軍人の蒋介石とは違い、あくまでも日本との和平を模索した彼ですが、中国共産党側から
見れば漢奸ですね。しかしそこまで日本が優しい国だと思ったんだろうか、彼は。


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汪兆銘が日本で頭山満と会談している時の写真。黒龍会のドンと書かれていますな。


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この場所に来て、何ともいえない気持ちになりました。
この日の丸の持ち主あるいは遺族は、ここに展示されていることを知らないでしょう。


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そして第二次大戦後の1946年に蒋介石が南京に凱旋。
この後ドロ沼の国共内戦に突入ですね。


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1949年ついに人民解放軍が総統府に入ります。


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総統府の門に上って解放を祝う人民解放軍の兵士たち。
この写真を見ていると、1975年の南ベトナムの解放のシーンを思い出しました。

この後、蒋介石は大陸を離れ台湾へ。
南京は、その後は地方都市の一つとして今に至るわけですね。

中国では、こういう歴史や政治に絡む展示の時は、
特に仰々しく「前置き」と「結論」がドドーンと展示されます。

ここでの結論はこうです。

展示の目的は、中華民国37年(←意外に短い)の歴史を理解し、
現在の中国を更に信じ、未来の中国に大きく期待を持つこと

とか何とか。覚めた目で見てしまいました。
でも、南京には歴史がギュッと詰まっていることはよく理解できました。

しかし、いつになったら総統府を全部見終われるのでしょうか。
見学はまだまだ続きます。(^^;



posted by サラミ at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする
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