2014年07月24日

南京2日目 総統府1

2014年6月1日(日) 総統府 ~清両江総督署史料展&洪秀全と天朝宮殿歴史文物陳列

この日の天気は大雨でした。

それはもうバケツをひっくり返したような雨で、上海では警報が出たほど。
しかし、南京もそれに劣らずすごい雨でした。

しかし、今日も観光に出かけねばなりません。今日の目的地は総統府です。
まず、地下鉄2号線で大行宮駅まで行き、そこから徒歩。

しかし、とにかくシャワーのような大雨です。大行宮駅から総統府までは近いのですが、
水はけが悪い上に途中の道路が工事中で水たまりだらけ。

私は大雨になることが分かっていたのでビーサンで南京に来ましたが、
夫はスニーカーを履いていたので歩くのに苦労し、最後は諦めてズブ濡れ。

途中、総統府近くの駐車場に間違って入ってしまったりしてアホみたいに迷いましたが、
何とか無事に総統府に到着しました。

が、こんな大雨にも関わらずものすごい人・人・人!


1.jpg

入口の門です。大雨の中、私も傘を差して一眼レフを持っているので必死でした。
雨が強すぎて、獅子の像を入れて写真を撮る余裕さえなし。

入場は一人40元でした。チケット売り場はここを左に行った小さなチケット・オフィスにありました。


2.jpg

中に入るとこんな石碑が。「孫中山臨時大総統府」と「南京国民政府」の跡地だとか。

元々は、明の永楽帝の次男の家があったところだそうで、その庭園「煦園(くえん)」は
今も敷地の西側に残っています。

ここの歴史変遷がややこしくて、

1.明が滅んで清代に入ると両江総督府が置かれる。(両江=今の江蘇・安徽・江西省と上海
2.1853年の太平天国の乱ではここを拡張して太平天国の天王府が置かれる。
3.太平天国の乱が鎮圧されて天王府が破壊されると両江総督府が再建される。
4.1912年辛亥革命が起こると中華民国臨時大総統府が置かれる。(「総統府」の由来)
5.1927年蒋介石による南京国民政府が置かれる。
6.1937年日本軍が侵略すると中華民国維新政府が置かれる。(1940年国民政府へ編入)
7.1940年汪兆銘の南京国民政府が置かれる。
8.1946年蒋介石が戻ってきて再び南京国民政府が置かれる。
9.1948年蒋介石が中華民国総統になり、2代目「総統府」となる。台湾脱出の1949年まで。

・・・とまあ、私が調べた限りではザッとこんな感じで、この色んな資料が展示されているのが
総統府です。チケットには「南京中国近代史遺址博物館」とも書かれています。

中の敷地は広すぎてものすごく分かりにくかったので、ここに地図を貼りつけます。
クリックで拡大します。画像が荒くてすいません。


map.jpg

敷地は、真ん中の薄オレンジ色、右の青色、左の緑色煦園(くえん)
の3つに大きく分かれているようです。

まず真ん中から入り、赤い矢印に沿って順路を進みますが、
あいにくの大雨の上に所々屋根がないもので、私達は適当に進みました。


3.jpg

まずは中央の大堂の中へ。孫文の手による「天下為公」の扁額が。

本当は、順路はこのまま真っ直ぐ奥まで進んで行くのですが、何しろものすごい人だったので、
次の中堂(二堂)に行く前に右に曲がり、「清両江総督署史料展」という部屋に入りました。

この部屋は個人的にとても面白かったのですが、すさまじい人数の見学者がいて
ほとんどまともな写真は撮れていません。

壁に掲げられていた説明文を読んでフムフムと感心していたのですが、文章の最後が
ここは愛国主義教育の良い素材です。」でしめられていて、ちょっとうんざり。(^<>^;


4.JPG

我ながら、なんでこのアングルかなー、と。おそらく総督の服装を展示していたのだと思います。
私が気になったのはこの靴です。なんでこんな厚底なんでしょうかね。冬用かな?


5.JPG

こちらは李鴻章。なんでも、この人も両江総督だったとか。



6.JPG

こちらは曽国藩。李鴻章の師匠ですね。同じく両江総督だったそうな。
私は太平天国の乱を鎮圧した人ということ以外、あまり知りませんでした。

ここの展示には清朝官職品級服飾表という表もあり、清朝のお役人の服装の説明が
とても興味深かったのですが、写真失敗しました。うー。

表に「頂戴」と書いてあり、ちょうだいって何?と一瞬思いましたが、
中国語から想像して、テッペンに戴くものだから帽子の一番上についている丸いヤツですね。
あれが珊瑚だと位は正一位と従一位だとか、見るとお役人の位がすぐ分かるらしい。

胸の刺繍の柄なども色々位があるそうで、覚えると面白いと思いました。

実はこの旅行のあと、浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んだのですが、
ここの展示のおかげで、清朝末期の役人達の服装の描写がよく理解できました。


7.JPG

こちらは両江総督署の大堂(メインホール)だそうな。
どうもオリジナルではないみたいですが。

次に行ったのは「洪秀全与天朝宮殿歴史文物陳列」という太平天国の乱にまつわる部屋。
(与=日本語の「と」)


8.JPG

いきなり太平の文字が現れます。思わず記念写真を撮るサラミ夫でありました。


9.jpg

中には太平天国が置いた天王府という宮殿の模型がありました。
随分と規模が大きかったのですね。

でも説明を見ると、1853年に南京を天京と改めて入城して1864年に陥落なので、
たった10年余りの短期間だったのですね。


10.jpg

こちらは自ら天王と名乗った洪秀全の像


11.JPG

太平天国の展示は立派な伝統家屋の中にあったのですが、この豪雨のせいで
真ん中を突っ切ったり、せっかくの古い庭園をぶらついたりできませんでした。(涙)


12.jpg

こちらは天王機密室。洪秀全が書類を閲覧したり、秘密会議を開いたりした所だとか。


13.JPG

こちらの派手な部屋は天王玉座。謁見したり勅書を発布したり、とまるで皇帝のような。


14.jpg

サラミ夫がビデオカメラのズームで撮影。玉座のアップです。中央に思いっきりが。
どこからどう見ても、これは歴代皇帝の玉座のマネでしょう。

太平天国がいくらキリスト教だとはいえ、当時はまだ中国的な思想から逸脱できるはずもなく。

天草四郎はもっとエキゾチックだと思っていましたが、外国人から見ると彼もこんな感じなのか?
(いや、映画「魔界転生」のイメージが強すぎるのですが。)

まだまだ総統府のほんの一部しか見ていませんが、見ごたえがあってなかなか先に進めません。

本当は、午前だけでここの見学を終えるつもりでしたが、大雨で出発が遅れたこともあり、
あっという間にお昼前になってしまいました。

まだまだ頑張って見学を続けます。



posted by サラミ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。