2014年07月13日

南京1日目 明孝陵

2014年5月31日(土) 明孝陵

霊谷寺から再び5元の電動カートで明孝陵に向かいます。


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明孝陵は、明の太祖洪武帝(朱元璋)と皇后の陵墓です。とにかく広大の一言。

大金門→四方城→石象路→翁仲路というルートで参道を散策していくのが本当の順番なのですが、
バス停は参道をすっ飛ばした入口の近くにあるので、先に陵墓を見てから参道を戻ることに。

明孝陵をすべて制覇したい方は、上の地図よりさらに南の地下鉄下馬坊駅まで来て、
そこから徒歩で下馬坊→大金門→四方城→参道・・・と歩いて行きましょう。5キロ位ありそうですが。

昔は、明孝陵に参拝する人は下馬坊から必ず歩いて行かなければならなかったとか。あーしんど。

余談ですが、参道の近くには三国志で有名な孫権の墓(記念館)もあるとのことですが、
私達はとにかく時間がなかったので今回はパスしました。


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バス停から中途半端に歩いて金水橋という所に到着。元々5つあったのが今は3つのみ現存。
この景色を見て「あ、9年前に来たわ!」と一気に思い出しました。ここは明孝陵だったのか。(^^;

後は、ここをひたすら真っ直ぐ北上します。よくある中国の宮殿建築の作りっぽい。
実際ここは、後の明清代の王陵のモデルになったそうです。


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ちょっと外れにひっそりとユネスコ世界遺産の碑が。世界遺産なのに人が少ない。


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陵宮の見取り図です。

東西にも建造物があるようですが、今までの中国での経験から、大体これらの建物内は
中がカラッポかお土産屋さんとかだったりします。(しかもここも大部分が復元だしね。)

よって、まっすぐ2番→7番→10番→11番→12番→14番と行くことにしました。


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2番の文武方門に到着。キレイに塗り直したようで随分と新しく感じました。
現地の説明を見ると1998年に復元したのだとか。その後も多分壁は塗り替えてるでしょうね。


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ガラスケースに入れられた「特別告示碑」という石碑を発見。

1909年、明孝陵の保護を目的として、日本語・ドイツ語・イタリア語・英語・フランス語・ロシア語
6ヶ国語で書かれた告示だということです。要は「傷つけたりしないでね。」ってことですね。

1909年というと、欧米列強や日本がぐちゃぐちゃ入り込んで外国人も多かったのでしょうね。
しかし、イタリア人までいたのか。ほぇー。


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同じ特別告知碑先の7番の碑殿にもあり、こちらの方が摩耗が少なかったです。
しかし漢字とカタカナなので読みにくい。


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碑殿は、その名の通り石碑がある建物で、こちらは康熙帝が1699年に南部巡視の際に
書かれた言葉を石碑にした、と説明にありました。少しバランス悪くて逆にリアルです。


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その脇には乾隆帝の筆による石碑が。
さすがにこの辺りは人が多くて引きで写真が撮れませんでした。


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そして真っ直ぐ進み、おそらくこの建物は地図10番の殿。(記憶が曖昧です。)
この頃には疲れでもうどうでも良くなってきたため写真もかなりいい加減です。

ここは元々は孝陵殿という立派な建物だったようですが、1853年に太平天国の乱で破壊され、
同治帝の時に建て替えられたそうですが、随分規模が小さくなってしまったような。

そして地図11番の内紅門をくぐり抜け(写真なし)、やっと突き当たりまで来ました。


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メインの建物、方城明楼。足元は昇仙橋という橋だったようです。スルーしてました。

下の石の土台の部分が方城で、明楼は上の色鮮やかな建物の部分を言うみたいです。
そして、この明楼の後ろに位置する墳丘が、太祖洪武帝皇后のお墓のあるです。

でも、ここってこんな新しかったっけ?9年前はこんな所来たっけ?と何だか不思議に。
現地の説明を見ると、明楼の屋根は2008年から1年かけて修復したと書かれていました。

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こちらは2005年の写真です。上の明楼の屋根が見事にありません。壁もボロボロ。
そうでした。確か以前はこのようにボロボロだった印象が。

随分と立派に蘇りましたね。


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階段を上って明楼の上に上がります。


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階段を上りきると、「此山明太祖之墓」と書かれた石垣が目の前に。
ここは円墳で、ぐるっと城壁で囲まれています。この地下に朱元璋が眠っているのです。


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宝頂はこの通り緑の生い茂ったで、歩道もあって中を行けるようなのですが、
墓室に行けるわけではないので私達はパス。

太祖洪武帝皇后の墓室はこの地下深くにあるそうですが、発掘調査をしたことがないとかで、
「地下宮殿」なんて呼ばれてはいますが、実際のところは謎なんだそうな。


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向きを変えて明楼の上に向かいます。この階段というか斜面が登りにくい。
少年のスニーカーは納得ですが、なんで大陸のおっさんは革靴で歩き回るんでしょうか。


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明楼の上から今まで歩いて来た道を臨みます。ここもアホみたいに広かったな。


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こんなトランプも売っていました。
非常に気になりましたが、南京という土地で日本人の私がこれを手に取る勇気はありませんでした。


実は、昔ここに来た時に非常に興味深い石を見たので、今回もそれを楽しみにしていたのですが、
修復されてしまって様子がすっかり変わってしまい、同じものが見つけられませんでした。

↓これがその石です。2005年に撮影。

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当時の私は中国語はほとんど分かりませんでしたが、ガイドさんの説明がありました。

ここを作る時に、奴隷だか職人だかが自分の名前を石に刻み、何か粗相があったりすると、
その情報を見てその石煉瓦を作った人が処刑されたのだとか。

この写真の石にそんなことが書かれているのかどうか分からないのですが、
そういうことを聞いて「ひえ~!」と思い、シャッターを切ったことを今でも覚えています。

でも、今回現地ではどこにもそんな説明はなく、ネットで調べても分からないままでした。
ほとんど中国語が分からない時に聞いた話なので、勘違いもあるかも知れません。

でも処刑されたという話は確かに聞きました。

こんなわけで、明楼では期待していた物が見られなかったせいもあってガッカリしてしまい、
ロクに写真も撮らずに元来た道を戻ってしまいました。

中国の遺跡はただただ広くて歩き疲れることが多いです。(涙)


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延々と歩いて翁仲路神道参道)に戻って来ました。
私達は逆方向に歩いているので、これは後ろを振り返った図。

正面に見える欞星門(れいせいもん)という門は、前に山東省の孔子を祀る孔廟でも見たので
気になって調べてみたところ、孔廟のウィキペディアには、

欞星は古代の伝説では天上にある星で、古代の帝王を祭る際はこの星に対し儀式を行った

とあるので、皇帝に関わりのある場所に置かれる門なのかなと想像。
孔子あたりになると、皇帝に近い所(あるいは同等)にまで神格化されたのでしょうね。


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道を曲がって石象路神道に来ました。これらの12対の石獣は明代から残るオリジナルですが、
今は皇帝の参拝というよりも、恰好のデートスポットになっている感じです。


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そして一瞬迷いつつ、四方城に到着。ここも見事に修復してますね。

四方城は通称で、本当は「神効聖徳碑楼」と言うのだそうな。
2012年に保護のため工事を行ったとあるので、本当に直して間もないのだな。


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中には明の永楽帝が父の太祖・洪武帝(朱元璋)のために立てた
大明孝陵神効聖徳碑」という石碑があります。

1413年に出来たとあるので確かに古いです。
永楽帝自身の手による碑文だそうですが、古いのと巨大すぎて遠くて見えません。



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そしてとうとう大金門に到着。

私達は逆方向に歩いてきたのでここで到着ですが、本来はここが明孝陵の外壁の正門なので
入口」という看板があります。徒歩の方はこの辺から出発ですね。

いやー、とにかく広かった!思いっきり足が疲れました。(今日は中山陵にも上ってるし。)
一体何キロ歩いただろう?って位疲れました。中国の陵墓や宮殿は本当に体力勝負です。

しかし時間はもう夕方。最後の一ヶ所、美麗宮が残っているので、
疲れた体にムチ打って、まだあともう少し歩き続けます。



posted by サラミ at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする
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