2014年07月27日

南京2日目 総統府3

2014年6月1日(日) 総統府 ~子超楼&防空壕&行政院&晩清と民国歴史陳列

またまた総統府の続きです。(いつ終わるのか自分でも分かりません。)

総統府文物史料陳列を見た後は、そのまま真っ直ぐ進みました。


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続いて総統府弁公楼(子超楼)へ。少し雨が上がりました。


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中はこういう作りですが、私はもう足が棒になってしまったのと、昨日の美麗宮に似ていたことから
3階の国務会議庁は見ていません。でも惜しいことをした~。


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2階の蒋介石のオフィスです。元々は国民政府主席のオフィスですが、日本の占領期間を経て、
1948年に蒋介石が総統に就任してから「総統弁公室」に名前も変更された模様。

ちなみに、この場所をゲットして写真撮るの大変だったのです。


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こんなに混雑してましたからね。総統府はやはり平日に来るに限ります。


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ざっと見て、子超楼を出ました。私が立っているこの場所は庭園でしたが、
ここもおぞましいほどの人・人・人だったので、庭園の写真を撮る気にはなれず。


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次に向かったのは防空壕です。ホーチミンの統一会堂みたいに何かあるのでしょうか。わくわく。


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と思ったら何もありませんでした。

説明によると、1934年に先ほど見た国民政府弁公楼を建てた時にこの防空壕も作ったとか。
当時は日本軍の戦闘機が頻繁に飛来していたらしいです。

また、1949年の解放前夜、総統府の役人が持ち運べない書類をここで大量に燃やしたそうな。


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次に向かったのは行政院という建物ですが、ここはスルーしました。
1920年代の建築だそうな。


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先ほどの行政院を通り抜けると南にもう一つ行政院が。行政院は北と南に2つ建物があります。
こちらは少し新しく1934年に建てられたとか。

中の展示は国民政府行政院文物史料陳列です。陳列が多いです。


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国民政府の行政組織図がありましたが、私が気になったのは禁煙委員会です。
まさか省庁で「たばこ止めましょう」なんて組織はないはずなので、これはアヘンですね。

すごいなあ。省庁を置かなくてはならないくらいアヘンは大問題だったのですね。
でも最後は禁煙委員会がなくなっているあたり、状況は大きく改善したのでしょうか。


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こちらは事務所。レトロです。前日に行った美麗宮とよく似た感じなので、適当に流して見学。


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ここは各省庁(さっき見た組織図の〇〇部とか〇〇委員会とか)の展示の部屋。


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身分証明書みたいなのですが、このうちどれかはパスポートとして通用したのでしょうか。


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こちらは蒙蔵委員会(=蒙古・チベット関連部署)の展示。右は5歳のダライ・ラマ14世

むっちゃ笑顔でゴキゲンを取る左の国民政府の代表を胡散臭そうな目で見つめる男の子。
さすがの活仏様は、この時すでにコイツを信用してはならぬと見抜いたのでしょうか。

ちなみに、この展示には、

1940年11月31日に蒙蔵委員会委員長の呉忠信が国民政府を代表して
ラサのノルブリンカに赴き、14世ダライ・ラマの就任式を執り行った

とありましたが、ダライラマ法王側はそれを嘘だと主張しており、

呉忠信が就任式の数日後にダライ・ラマと個人的謁見をしたときのもの

だとしています。どちらが正しいのか私には判断できませんが、
この展示の写真、引きの写真じゃないからどこにいるのか分かりませんね。

別の写真を引っ張ってきて「これは〇〇の時の様子です」と紹介するのは
常套手段のような気がします。日本でもネットとかでは見かけるけど。

行政院を出た後は、最初すっ飛ばした所へ戻ります。
陶林二公祠は興味なかったので飛ばして(うまや)へ。


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随分とよく出来ていますが、時間が押しているのでチラッと見て通過。


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その後もいくつか飛ばし、晩清与民国歴史陳列という所にきました。ここも展示が多いです。


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社会問題のコーナーに来ました。英語でアンダーグラウンド・ギャングって書いてますな。


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娼妓(売春婦)。右上の写真の娼妓はどうみても10代前半にしか見えません。

左上の写真は上海の福州路、左下の写真は上海の女子按摩院だとか。
英語ではマッサージ・インスチチュートとあるので学校です。そんな養成所があったとは。


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賭博です。左下の写真は「道端で賭博をする下層民衆」だそうな。上層の人は賭博場に行くのかな。


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上海の旧競馬場。競馬場は今も武漢にありますけどね。
賭博に関してはマカオのカジノもあるし、ハマりすぎないように注意しましょう位の感じでしょうか。


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写真がブレてしまいましたが、アヘンです。どよーんとした気持ちにさせられます。


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晩清与民国歴史陳列の建物はこちら。
これが入口の方向ですが、私達は逆方向の北から戻ってきたので入口側に出ました。

これでやっと総統府の3つのエリアのうち2つを見終わりました。広すぎるー!

最後のエリアは煦園(くえん)という庭園のエリア。もう少し頑張ります。



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2014年07月26日

南京2日目 総統府2

2014年6月1日(日) 総統府 ~総統府会客庁&総統府文物史料陳列

総統府の続きです。


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この案内を見て、とりあえず中央に戻り、総統府会客庁に行くことにしました。
英語では「レセプション・ビルディング」と書いてあります。

集合写真が載っていますが、真ん中の人は蒋介石です。
蒋介石はこうやって、要人と会見した時いちいち集合写真を撮っていたみたいですね。

疲れたので、まずは中央のホールに戻ってベンチに腰かけて一休み。
雨が全然止まないので、どこもかしこもズブ濡れで座れる所が限られます。ツライ。(涙)

目の前には油絵が。

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躍動感いっぱいの作品「占領総統府」。一瞬ドラクロワのパクリかと思いましたが違います。
陳逸飛魏景山の合作だそうですが、陳逸飛は私でも知っている有名な画家です。

陳逸飛はファッションも手掛けていて、以前は上海に彼の店がいくつかありました。
そこで彼の油絵を初めて見ました。


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プロパガンダ・アートと言えばそれまでなのですが、この中心の人の表情がとても印象的でした。
とはいえ、この絵はきっと複製ですよね。こんな壁もない所に本物があるとは思えない。


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もう一つありました。こちらは「国父」。この画家は知らない人でした。
この絵の赤い色とか構図とか、「占領総統府」よりこっちの方が好みでした。

この夥しい人々には全部名前が書かれていました。全部建国にまつわる人々でしょうね。
孫文の左側には宋慶麗とその他の宋家の人々がいましたが、右は誰だったかな。

調べたら、この絵のオリジナルはどうも台北にあるらしいです。なんだかビミョー。

私達が休憩しているこの場所は、1912年に孫文臨時大総統に就任した時に
就任の儀式を行った場所のようでした。え、ここで?とビックリです。

南京というのは今は地方都市ですが、ついこないだまでは首都だったんですものね。

一休みを終えたら総統府会客庁に進みます。

相変わらずの大雨で、建物の外観の写真が全然撮れませんでした。人も多いし。
総統府会客庁は中華民国初めに建てられたモダンなコンクリートの建物でした。

なんか、今の総統府の中って建築様式がバラバラなんですね。不思議です。


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この部屋は総統府会客室です。しかしなぜにライオンの絵?

ここは休憩室および国内の賓客を接待する所だったそうな。
1946年には国民党と共産党の交渉も行われたと書かれていました。ダメだったのですね・・・。


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こちらは外賓接待室。その名の通り、外国人客を接待する部屋です。

元々は普通の接待室だったようですが、1946年に蒋介石が重慶から戻ってきて以降、
「外賓」の接待室になり、マーシャル等の外国要人をここで接待したとか。

無知なのでマーシャル以外の外国人が誰なのか説明を見ても分からんかった・・・。


さて、総統府会客庁を抜けると麒麟門という門があるのですが・・・

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この通り、屋根のある所には人々が殺到して、麒麟門など気づかず通り過ぎました
こんな混み合う中でもひっそりと場所を取って休憩するサラミ夫。(笑)


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人ごみを抜けて、次に行ったのがこちら、総統府文物史料陳列という場所。
1階も2階も展示のある部屋がいっぱいあり、見ごたえがありました。

旧日本軍の展示などもここに含まれるため、日本人の私にとっては一番ピリピリする場所でした。
でも展示はとても興味深かったです。

いくつも部屋があり、第一展庁から順番に見て回りました。


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中華民国の歴史が1912年から時系列で展示されています。


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もちろん蒋介石も。やっぱり冷たい顔。切れ長の目のせいでしょうかね。


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「防空学校卒業証書」とあります。校長は蒋介石。証書の上には孫文の写真も。

実は、ここの廊下で「なんでこんな所に日本人がいるんだ?」みたいな上海語の声が。
展示の内容的にも、南京という土地柄的にも、日本人がいるのが意外だったのかも。

この時は中国の連休だったせいで、上海からの旅行客が多かったのだと思います。
私が聞きとった上海語は「日本人」だけでしたが、私達が噂されていたのは明らかでした。

ただ、敵意のある声ではなく、単純に噂されていただけのようでした。
私のすぐ近くで声を発したのは若い男の子で、上海語だから分からないと思ったみたいです。


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わんさかいる人を避けて撮影していたのでヘンなアングルですが、
いきなり弱国外交の文字が目に入りました。

昨日の霊谷寺での南京条約の展示といい、ものすごい怨念を感じます。
やっぱり清朝末期から日中戦争終結までは、ひたすら屈辱の歴史なんでしょうね。

次の部屋は、日本占領時の展示でした。

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1937年12月13日の南京入城の時の写真でしょう。

このものすごい混み合った部屋の中で自分とサラミ夫だけが日本人だったので、
今ここでは絶対に日本語を喋るまいと思いました。

やはり展示内容が内容だけに、日本人だとバレると気まずいですわな。(^^;


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ちょっと光ってしまいましたが、こちらは汪兆銘です。

この人の展示の時は必ず「偽国民政府」などと「」の文字がついて回ります。
汪兆銘の国民政府は日本の傀儡なので、中国としては当然の表記でしょう。

軍人の蒋介石とは違い、あくまでも日本との和平を模索した彼ですが、中国共産党側から
見れば漢奸ですね。しかしそこまで日本が優しい国だと思ったんだろうか、彼は。


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汪兆銘が日本で頭山満と会談している時の写真。黒龍会のドンと書かれていますな。


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この場所に来て、何ともいえない気持ちになりました。
この日の丸の持ち主あるいは遺族は、ここに展示されていることを知らないでしょう。


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そして第二次大戦後の1946年に蒋介石が南京に凱旋。
この後ドロ沼の国共内戦に突入ですね。


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1949年ついに人民解放軍が総統府に入ります。


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総統府の門に上って解放を祝う人民解放軍の兵士たち。
この写真を見ていると、1975年の南ベトナムの解放のシーンを思い出しました。

この後、蒋介石は大陸を離れ台湾へ。
南京は、その後は地方都市の一つとして今に至るわけですね。

中国では、こういう歴史や政治に絡む展示の時は、
特に仰々しく「前置き」と「結論」がドドーンと展示されます。

ここでの結論はこうです。

展示の目的は、中華民国37年(←意外に短い)の歴史を理解し、
現在の中国を更に信じ、未来の中国に大きく期待を持つこと

とか何とか。覚めた目で見てしまいました。
でも、南京には歴史がギュッと詰まっていることはよく理解できました。

しかし、いつになったら総統府を全部見終われるのでしょうか。
見学はまだまだ続きます。(^^;

posted by サラミ at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月24日

南京2日目 総統府1

2014年6月1日(日) 総統府 ~清両江総督署史料展&洪秀全と天朝宮殿歴史文物陳列

この日の天気は大雨でした。

それはもうバケツをひっくり返したような雨で、上海では警報が出たほど。
しかし、南京もそれに劣らずすごい雨でした。

しかし、今日も観光に出かけねばなりません。今日の目的地は総統府です。
まず、地下鉄2号線で大行宮駅まで行き、そこから徒歩。

しかし、とにかくシャワーのような大雨です。大行宮駅から総統府までは近いのですが、
水はけが悪い上に途中の道路が工事中で水たまりだらけ。

私は大雨になることが分かっていたのでビーサンで南京に来ましたが、
夫はスニーカーを履いていたので歩くのに苦労し、最後は諦めてズブ濡れ。

途中、総統府近くの駐車場に間違って入ってしまったりしてアホみたいに迷いましたが、
何とか無事に総統府に到着しました。

が、こんな大雨にも関わらずものすごい人・人・人!


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入口の門です。大雨の中、私も傘を差して一眼レフを持っているので必死でした。
雨が強すぎて、獅子の像を入れて写真を撮る余裕さえなし。

入場は一人40元でした。チケット売り場はここを左に行った小さなチケット・オフィスにありました。


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中に入るとこんな石碑が。「孫中山臨時大総統府」と「南京国民政府」の跡地だとか。

元々は、明の永楽帝の次男の家があったところだそうで、その庭園「煦園(くえん)」は
今も敷地の西側に残っています。

ここの歴史変遷がややこしくて、

1.明が滅んで清代に入ると両江総督府が置かれる。(両江=今の江蘇・安徽・江西省と上海
2.1853年の太平天国の乱ではここを拡張して太平天国の天王府が置かれる。
3.太平天国の乱が鎮圧されて天王府が破壊されると両江総督府が再建される。
4.1912年辛亥革命が起こると中華民国臨時大総統府が置かれる。(「総統府」の由来)
5.1927年蒋介石による南京国民政府が置かれる。
6.1937年日本軍が侵略すると中華民国維新政府が置かれる。(1940年国民政府へ編入)
7.1940年汪兆銘の南京国民政府が置かれる。
8.1946年蒋介石が戻ってきて再び南京国民政府が置かれる。
9.1948年蒋介石が中華民国総統になり、2代目「総統府」となる。台湾脱出の1949年まで。

・・・とまあ、私が調べた限りではザッとこんな感じで、この色んな資料が展示されているのが
総統府です。チケットには「南京中国近代史遺址博物館」とも書かれています。

中の敷地は広すぎてものすごく分かりにくかったので、ここに地図を貼りつけます。
クリックで拡大します。画像が荒くてすいません。


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敷地は、真ん中の薄オレンジ色、右の青色、左の緑色煦園(くえん)
の3つに大きく分かれているようです。

まず真ん中から入り、赤い矢印に沿って順路を進みますが、
あいにくの大雨の上に所々屋根がないもので、私達は適当に進みました。


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まずは中央の大堂の中へ。孫文の手による「天下為公」の扁額が。

本当は、順路はこのまま真っ直ぐ奥まで進んで行くのですが、何しろものすごい人だったので、
次の中堂(二堂)に行く前に右に曲がり、「清両江総督署史料展」という部屋に入りました。

この部屋は個人的にとても面白かったのですが、すさまじい人数の見学者がいて
ほとんどまともな写真は撮れていません。

壁に掲げられていた説明文を読んでフムフムと感心していたのですが、文章の最後が
ここは愛国主義教育の良い素材です。」でしめられていて、ちょっとうんざり。(^<>^;


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我ながら、なんでこのアングルかなー、と。おそらく総督の服装を展示していたのだと思います。
私が気になったのはこの靴です。なんでこんな厚底なんでしょうかね。冬用かな?


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こちらは李鴻章。なんでも、この人も両江総督だったとか。



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こちらは曽国藩。李鴻章の師匠ですね。同じく両江総督だったそうな。
私は太平天国の乱を鎮圧した人ということ以外、あまり知りませんでした。

ここの展示には清朝官職品級服飾表という表もあり、清朝のお役人の服装の説明が
とても興味深かったのですが、写真失敗しました。うー。

表に「頂戴」と書いてあり、ちょうだいって何?と一瞬思いましたが、
中国語から想像して、テッペンに戴くものだから帽子の一番上についている丸いヤツですね。
あれが珊瑚だと位は正一位と従一位だとか、見るとお役人の位がすぐ分かるらしい。

胸の刺繍の柄なども色々位があるそうで、覚えると面白いと思いました。

実はこの旅行のあと、浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んだのですが、
ここの展示のおかげで、清朝末期の役人達の服装の描写がよく理解できました。


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こちらは両江総督署の大堂(メインホール)だそうな。
どうもオリジナルではないみたいですが。

次に行ったのは「洪秀全与天朝宮殿歴史文物陳列」という太平天国の乱にまつわる部屋。
(与=日本語の「と」)


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いきなり太平の文字が現れます。思わず記念写真を撮るサラミ夫でありました。


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中には太平天国が置いた天王府という宮殿の模型がありました。
随分と規模が大きかったのですね。

でも説明を見ると、1853年に南京を天京と改めて入城して1864年に陥落なので、
たった10年余りの短期間だったのですね。


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こちらは自ら天王と名乗った洪秀全の像


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太平天国の展示は立派な伝統家屋の中にあったのですが、この豪雨のせいで
真ん中を突っ切ったり、せっかくの古い庭園をぶらついたりできませんでした。(涙)


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こちらは天王機密室。洪秀全が書類を閲覧したり、秘密会議を開いたりした所だとか。


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こちらの派手な部屋は天王玉座。謁見したり勅書を発布したり、とまるで皇帝のような。


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サラミ夫がビデオカメラのズームで撮影。玉座のアップです。中央に思いっきりが。
どこからどう見ても、これは歴代皇帝の玉座のマネでしょう。

太平天国がいくらキリスト教だとはいえ、当時はまだ中国的な思想から逸脱できるはずもなく。

天草四郎はもっとエキゾチックだと思っていましたが、外国人から見ると彼もこんな感じなのか?
(いや、映画「魔界転生」のイメージが強すぎるのですが。)

まだまだ総統府のほんの一部しか見ていませんが、見ごたえがあってなかなか先に進めません。

本当は、午前だけでここの見学を終えるつもりでしたが、大雨で出発が遅れたこともあり、
あっという間にお昼前になってしまいました。

まだまだ頑張って見学を続けます。

posted by サラミ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月23日

南京2日目 金陵飯店の朝食@梅苑

2014年6月1日(日) 金陵飯店の朝食@梅苑

今回の宿泊プランはホテルの朝食がついていました。
チェックインの時、会場は2階だと言われていたのでその通りに2階へ。


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プラム・ガーデン(梅苑)という中華料理レストランが会場のようでした。
豪華な場所なのはいいのですが、朝食の時間が9時半で終わるってどやねん。


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隣の看板には、南京名物の塩水鴨が。こんな贈答用の立派なのがあるとは。

入口には表情のないザ・ローカルな女性スタッフが立ち、中に通してもらうと、
なんだか会場が狭い。料理も少ない。しかも品切れしてから補充がめちゃくちゃ遅い。

そして、お皿がない。待てど暮らせどお皿が来ない。(怒)

大型ホテルにしては食事している客もえらく少ない。
外国人客は皆無。ローカルなおじさんおばさんが目立ちます。

一応五つ星なので、それなりにまともだろうと思っていたのですが、期待外れでした。


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食べたいものが本当に少なくて、ヘンな海苔巻きとか取ってしまいました。
味はローカルのホテルっぽく、ハムとかベーコンとかが不味いです。

もうなんだかガッカリです。地方の3つ星レベル。(地方なのですが。)


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一方、パンはローカルにしてはまずまずいけました。
パンが甘くてダメダメなローカルのお店は多いです。

でも、大して食べたい料理はないし、人気そうな料理は補充が来ないし、
ジュースももちろん不味いし、おかわりしたくもありませんでした。

思いっきり不満を募らせて会場を後にしました。


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この通り、2階というか中2階みたいな場所でしたが、レストランそばのラウンジは立派です。
ただし、ここをがチュンチュン飛びまくっていましたが。す、すずめ?!ってビックリ。


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吹き抜けの1階ロビーを見下ろすと広くて豪華に見えるんですけどね。
中国特有の、ロビーだけアホみたいに広くて豪華絢爛であとはボロい、みたいな。

もうちょっと垢抜けているのかと思っていたけど、ローカルはやっぱりダメですね~。

でも実は、この日の夜ホテルの部屋に戻ったら、「明日の朝食会場は場所が変わります。
との手紙が。そちらのレストランの朝食は同じホテルとは思えないちゃんとしたものでした。

部屋にあった館内案内を見ても、エグゼクティブ・ルームの客は朝食会場が別の場所だったし、
この日のプラム・ガーデンでの朝食は、チェックイン時の案内間違いだったのではないかと、
私は今でも疑っています。途中で気づいて手紙を部屋に入れたのではないかと思うのですが。

どうせなら、2日ともちゃんとした方で朝食を食べたかったな。(涙)

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2014年07月21日

南京1日目 アヤシイ乗り物に乗る

2014年5月31日(土) アヤシイ乗り物に乗る

食事を終えた後、地下鉄でホテルまで戻ろうと歩き出したら、妙な光景が。


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楽しそうに猪八戒と記念写真を撮っている人がいるではないか。

なんだか楽しそうだったので、思わず私達もつられて猪八戒の元へ。

が、私が猪八戒の横に立った時、猪八戒の着ているマントの裏に、「一人10元」と
書いた布が貼っているのが見えてしまいました。(^^;

サラミ夫に声をかけましたが、もうすでにサラミ夫との2ショットは撮ってしまった後で、
夫ももうどうすることもできず、何となくゴキゲンなまま私の2ショット写真も撮影。

そのまま知らん顔して立ち去ってみましたが、やっぱり猪八戒は追いかけてきました。
いや~、そんなん知らんで~、と笑いつつ、10元で勘弁して~、と10元払って逃げてきました。

思えば、あんなヤツ、お金もらってるに決まっているのです。古典的な商法。

が、あまりに中国の人が嬉しそうに記念写真を撮っていて、
その後お金を払っている様子が見えなかったので、気を抜いてしまいました。

猪八戒は10元もらったので、その後は私達を追いかけてくることはありませんでした。

南京でアホな経験をしたサラミ夫婦でした。

その後、地下鉄の三山街駅に着くと、入口のシャッターが閉まっていて張り紙が。

不運なことに、その日だけ地下鉄工事の影響で19時で地下鉄が終了してしまったらしい・・・。
仕方なくタクシーを探すも、全然つかまりません。およよ・・・。

最終的につかまったのは3輪タクシーでした。上海の街中ではさすがにいないなぁ。


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というわけで、太ったおじさんの後ろにサラミ夫と並んで2人座りました。
3輪タクシーは自転車・バイクのレーンをぐんぐん走っていきます。

ホテルまでは地下鉄2駅分をただ真っ直ぐ北上するだけでカーブもないし大丈夫だったのですが、
このおじさんの運転は荒くて、バイクレーンの他の人や自転車などをなぎ倒しそうな勢いでした。


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おじさんもですが、私達の体もむき出しなのでヒヤヒヤでした。
横スレスレにバスは通るし、南京でまさかこんな乗り物に乗るとは思いもしませんでした。


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そしてホテルに面した路上で降ろされました。車寄せまでは行けないとか何とか。
こんなアヤシイ乗り物がまだまだ活躍している南京は、ホンマに省都なんですか???

おじさん、さっそく別の客と交渉を始めました。人気の乗り物のようです。


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まさかこんな立派なホテルに3輪タクシーで戻ってくるなんて。
いくら払ったか忘れてしまいましたが、許容範囲だったかと。


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ホテルの部屋に戻るとフルーツのサービスが。
一応この部屋はエグゼクティブ・フロアーなのでありました。

南京の1日目を終えてみると、サントリーのウーロン茶の無糖もお店で売ってないし、
なんだか南京って予想より田舎なのかも、という印象になりました。

というより、上海だけが中国大陸の中で突き抜けて別世界なんだな。

それにしても、ひたすら歩いた1日目でした。


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2014年07月19日

南京1日目 ディナー@南京大牌檔

2014年5月31日(土) 南京料理のディナー@南京大牌檔

とうとう雨が降り出したので、適当にショッピングモールに入って雨を凌ぐことにしました。

地下鉄の三山街駅から夫子廟に来る途中、アクアシティ水游城)というショッピングモール
のそばを通ったのを覚えていたので、雨の中、そこに取りあえず逃げ込みました。

ここのレストラン街でよさげなお店を探したのですが、どうも隣の水平方という
ショッピングモールと繋がっていたのか、いつの間にかそっちに行ったらしい。(^^;)
(あるいは最初からこちらへ入ったのか。)

ここで、夕方一度は諦めた南京大牌というレストランの別店舗を発見!

もう時間も21時を回ろうとしていたので、客も少なくなっている様子。
せっかく南京に来たので迷わずここに入ることにしました。


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とはいえ、まだ人は並んでいます。ここはお店の入り口前にある待合エリア。
セルフサービスのお茶があり、私達も自由に頂きました。


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まず、整理券を取ります。

20分以上待たせたら〇〇プレゼント、40分以上待たせたら〇〇プレゼント、
などなど、待ってもイライラしないサービスが。この辺も人気の秘訣でしょうか。


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少し待った後やっと私達の順番が来ました。入口の看板もレトロです。


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店内は昔の中国の雰囲気ですが、新しくてキレイ。なかなか楽しいです。


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私達が通されたのはステージ横の端っこの席でした。いつ演奏しているのでしょう。


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ここの特徴は、普通のメニューもあるけどオープン・キッチンメニューの実例が並んでいること。
名前も書いてあるし、外国人でもどんな料理か分かりやすいです。

「大牌檔」というのがそもそも屋台街みたいな所を言うのだそうで、だからこういう作りなワケですね。


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そして恐ろしくメニューが多い。南京料理に限らないようです。


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普通の点心や麺類も豊富で、見てたら思わずいっぱい頼んでしまいそうになります。


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オープン・キッチンだと作っている過程がある程度こちらから見えるので、
ここ中国にあっては安心なお店という気がします。(気がするだけですけど・・・。)


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私はとりあえずご当地ビールの金陵ビールを。(金陵とは南京の昔の名前。)

味はまあまあいい方ですが、中国各地のご当地ビールを飲んでみて改めて思うのは、
青島ビールがいかに別格かということです。他はとにかく薄い水みたいなビールが多いです。

奥の茶色いのは、江米扣肉という料理で、もち米と豚バラの醤油味が濃いけど美味しいです。
が、豚バラが中国によくありがちなほとんど脂身状態なので、後からウッときます。

何でも、調理した材料の入った入れ物をひっくり返して中身を皿の上にキレイに乗せるのが
コウ)の意味だそうな。知らんかった。


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こちらは鴨血粉絲砂鍋鴨血粉絲湯(アヒルの血と春雨のスープ)は南京名物ですが、
ここのは土鍋でやってきます。「鴨血」が不安でしたが、それほど鉄分くさくなく。

スープの味は淡泊なので、みんな自分で調味料とか足したりして食べてるんでしょうね。


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これが一番の名物という招牌塩水鴨。南京と言えば塩水鴨なんだそうな。
あっさりしていますが、塩水というだけあってしょっぱい。
好き好きでしょうが、私はもう少し薄味が良かったな。肉のアヒル~って感じは好きでしたが。

最初に出てきたもち米と豚バラのヤツが見た目より量があり、これだけでも十分お腹いっぱい。
もっと人数がいたら、みんなでたくさん頼んで色々食べられて楽しいでしょうね。


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私達は遅くに入ってゆっくり食べていたので、帰る頃にはガラガラに。


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そして、こんなレトロな所でお会計。

料理とビールの他にミネラル・ウォーターも1本頼んで、お会計は全部で108元
ここ、むちゃくちゃ安かったです。

上海に戻ってほどなく支店が出来たのを知ったので、ぜひ上海店にも行きたいです。

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2014年07月17日

南京1日目 夫子廟

2014年5月31日(土) 夫子廟

美麗宮を見た後は、近くのバス停が見つけられず、テクテク歩いて山を下りました。

途中、地下鉄の駅に着くまでにもう一ヶ所バス停があったので、
あとわずかでしたが一駅乗りました。もう歩き疲れて死にそうでした。

バスは苜蓿園駅近くの観光バス乗り場まで戻り、その近くにあった商店でお水や折り畳み傘を
買った後、食事できる場所を目指しました。もう時間は18時をとうに過ぎています。


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サラミ夫が、北京在住の知り合いに噂を聞いていたというこのお店。北京にも支店があるそうな。
たまたま苜蓿園駅の近くにあったので本当はここに入りたかったのですが、恐ろしい人気!

座り込んでいる人々はみんな整理券を取って待っているのでした。
お店の人に聞くと、最低でも1時間はかかると言われたので断念しました・・・。

(注:実は後日、上海にも支店ができました。)


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とりあえず、地下鉄でホテルのある新街口駅まで戻ることに。

が、今日はの天気予報だったのに、奇跡的にまだ降り出していません。
ホテルに戻ったら絶対に疲れて動けなくなるので、このまま頑張って移動しようと決断!

というわけで、新街口で地下鉄1号線に乗り換え、三山街で降りて、
南京随一の繁華街、夫子廟に行くことにしました。

が、地下鉄の三山街からギラギラ・ライトアップされている夫子廟エリアまで
実は結構歩くのですね。まあ、歩けない距離ではありませんが。

目的地到着までは15分~20分くらい見ておいた方がいいでしょうね。
繁華街なのであれこれ見ながら歩くと退屈しません。が、ゴミが多いです。


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思わず途中で羊肉串を買って立ち食いしてしまいました。


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こんな地味なパフォーマンスをしている人も見かけました。でも周囲の反応は冷たい。


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この男性、ペットボトルの上に両膝爪先を付けてじーっとしているだけ。
すんごい難しいと思うのですが、地味なのであまり感動を呼ぶことができない様子。

パフォーマンスには派手さも必要かと。(^^;)

ここからさらに、ひたすら真っ直ぐ歩き、状元楼酒店というホテルが見えてきた辺りで
右に折れて細い道を進みました。この辺りはもうすごい人。何しろ中国の連休ですから。

夫子廟というのは上海の豫園と同じで、夫子廟という建物もありますが、
そのエリア一体も夫子廟と呼ばれていて、夜は煌びやかにライトアップされます。

私は2005年にもここに来ていて、その時もギラギラネオンが光ってたな~、
という微かな記憶だけ残っていました。

建物の夫子廟は夜でも解放されていて、大成殿に入らなければお金もかかりません。
しばらくそこで座って休憩しましたが、その時はとにかくお祭りの露店状態で人がうじゃうじゃ。

賑やかでしたが喧噪もすごくて、ものすごく居心地が悪かったので、頑張ってまた移動。


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この路地を人をかき分けて進み、ライトアップされている秦淮河の方を目指していきました。
雨が降る直前で、蒸し暑いのにこの熱気で疲れました・・・。

路地を抜けると広い場所に出ましたが、あちこち工事中のようで、秦淮河のそばに行くには、
ぐるりと囲まれた工事用の壁のほんの隙間から出入りするしかありませんでした。

しかも、その隙間って1ヶ所2ヶ所くらいしかない!

そこに、おそらく見た感じだけでも100人以上は出入りしようとしていて、
こちら側からも向こう側からも、人民がぐいぐい押しあっています。

私も突破しようとしましたが、子供を楯に突っ込んできたオバハンに押されて壁と人に挟まれて
身動きが取れなくなりました。後ろに下がろうにも私の後ろも人民が押してきています。

サラミ夫が先に行ってしまって、私は子供を避けて何とか一旦下がり、先に行けないので
どうしようかと思いましたが、私の後ろの人民の方々が、子供を楯にしたオバハンの態度に
キレまくり、その勢いで私も後ろから押し流されて隙間を突破しました。

上海ではもう滅多にこんなことは起きなくなったので、久々に中国の地方都市でうんざり。
てか、ちゃんと整備していない南京市がそもそも悪いのだ、あれは。


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ジリジリと人をかき分けて前に進み、やっとライトアップが見える位置をゲット!
河の上では踊りが繰り広げられていました。

何やら、人々は遊覧船に乗るために恐ろしい長蛇の列を作っていました。
80元の遊覧船と60元の遊覧船の違いが何なのか、ちょっと気になるところです。


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舞台セットの上で踊る方々。その前を遊覧船が通り過ぎていきます。



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出演者はどんどん変わっていき、衣装の色も中国らしくそれぞれ鮮やか。


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サラミ夫のビデオカメラによるズーム。楽しそうに踊っています。

今日のこれは端午節ということで少し豪華版なのかも知れませんが、
それにしても、これが無料で見られるというのも、中国ならではの娯楽です。

しかし、いつまでもいつまでーも同じような歌と踊りが続くので、
20分くらい見物した後、私達は夕食を食べるために秦淮河を後にしました。

帰り、その昔「科挙」が行われていたという江南貢院歴史陳列館の前を通りましたが、
思いっきり工事中。どうやらエリア全体を完全に立て直すようで大規模工事でした。

そしてとうとうが。

道路もあちこち工事中で水はけも悪く、夫子廟の余韻に浸ることもなく、
せわしなく賑やかなエリアを後にしたのでした。

印象は、やはり上海の豫園のようなところでした。


ラベル:夫子廟 南京 中国
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2014年07月15日

南京1日目 美麗宮

2014年5月31日(土) 美麗宮

ついに今日の最終目的地、「美麗宮」です。

4か所の合同チケットが当日だけ有効なので、根性で回るしかありません。
この辺が中国の不親切な所なんですねぇ。せめて2日間有効にしてくれれば。(涙)

さて、現在地の明孝陵の正門「大金門」から美麗宮までは徒歩で行けます。

すぐ近くにあった明孝陵博物館はすでに閉館だったのでスルーし、
え、どっち?とちょっと迷いながらも大きな道路を歩いて美麗宮に到着しました。


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入口付近にこの大きな看板があります。

「美麗宮」というのは通称で、本当は「国民政府主席官邸旧跡」です。
時の主席の蒋介石と妻の宋美齢が滞在したことから美麗宮と呼ばれるようになったとか。

1931年から3年かかって建てられた官邸ですが、思ったほど巨大ではありませんでした。


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中洋折衷の不思議なデザイン。修復工事をしたそうで私達が訪れた時はとてもキレイでした。


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玄関前に停まっていたクラシック・カー。30年代のビュイックだそうです。

ガイドブックには「宋美齢の専用車」と載っていましたが、どこにもそんな説明はなく、
官邸専用車両」としか書かれていませんでした。

ま、実際は宋美齢が私用でガンガン乗りまくっていたであろうことは想像に難くないですが・・・。
(あくまで私の妄想ですが。)

建物は3階建てで、一番上から見ていきました。


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中央の階段を上りきると突き当たりにこんな空間があり、ここから順番に部屋を見て回りました。


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まずダイニング・ルームです。蒋介石宋美齢のプライベート・ダイニング・ルームだそうな。
政府や軍の要員も、度々ここでもてなしたとか。


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反対側から。部屋の中には入れないのでこのアングルがギリギリです。

部屋の左側には食事の配膳準備などをする部屋があるそうで、地下のキッチンとリフトで連結。
出来たてをすぐにリフトで上げて持ってくるという用意周到な設計だと説明文で絶賛しています。(笑)


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個人的にびっくりしたのはこちらの礼拝堂です。官邸の中に礼拝堂!?みたいな。
宋美齢も蒋介石もクリスチャンだったから礼拝堂を作ったのでしょう。

しかし、蒋介石は宋美齢と結婚するために洗礼を受けたと私は思っているので、
敬虔なクリスチャンとは言われていますが、心の中は本当はどうだったのでしょう。

一応、毎週日曜の午前中はここで礼拝を行っていたようです。


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壁にはこんな写真が掲げられていました。礼拝の時の写真だそうな。


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こちらは蒋介石・宋美齢夫妻の寝室。こちらは主寝室で、もう一つ寝室がありました。何でや?


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ベッドの上にあった若い頃の宋美齢の写真。

宋美齢といえば頬がこけてスレンダーな印象がありましたが、随分ふっくらしています。
まだ幼くてかわいらしいですね。(その後はドラゴン・レディという異名そのものですが。)


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広々とした寝室の左端に置かれていたクローゼット蓄音機

さすがに20世紀とあって、家具はアールデコな感じに中国家具が折衷されていて、
シンプルながらも洗練されています。このセンスの良さは宋美齢のセレクトなのでしょう。
蒋介石は軍人でしかも質素だったようなので、あんまりセンスはなかったのでは。


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もう一つの寝室。こじんまりしていますが、西洋風の暖炉付きです。


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ベッドの上には有名な蒋介石と宋美齢の結婚写真

しかし宋美齢はなぜこのウエディング・ドレスを選んだのでしょう?
ヘンだと思うのは時代のせいでしょうか。全然似合っていないのだが。

ついでにいうと、宋美齢が美人で人気があったというのがいまだに理解できません。
美人の基準がよく分かりませんが、表情の素敵な人だったのでしょうか。

一方の蒋介石はかなりのハンサムだと思うのですが、
写真の中の蒋介石はいつも目が笑ってなくて、私は冷淡な印象しか受けません。


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こちらの殺風景な場所は宋美齢がよく使った入浴化粧室だとか。

壁のタイルも床のモザイクも今見ると何の変哲もないのですが、
当時は最新の設備だったそうで、バスタブなんてイギリスから運んだらしい。

ここで宋美齢はよくミルク風呂に入ったそうです。
当時は牛乳って中国では珍しかったのではないかと想像。(みんな豆乳飲むし。)


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こちらは蒋介石の書斎。広すぎず落ち着いた佇まいです。

一階下に下りると、中階には、小さなお土産屋さんや本屋なども。


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こちらは秘書室。タイプライターなど時代を感じます。金庫の中は現金があったのでしょうか。


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蒋介石のオフィスには孫文の写真がドドーンと。記録を元にした再現だそうですが。


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そしてこちらは応接室。国民党の偉いさんやらアメリカ大使など重要人物と会見した場所。

米軍顧問のマーシャル」ともここで会っていたと解説に書かれていましたが、
そのマーシャルっておそらくマーシャル・プランで有名なあのジョージ・マーシャルでしょうね。


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そして、上の階で礼拝堂だった場所は、中階では宴会ホールになっていました。
その一部で写真のようなテーブル・セッティングが再現されています。

左奥の部屋は宋美齢の資料館でした。


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ホールの床の四隅にはこんなはめ込みがあり、はめ込み式暖気装置と書いてました。
下の階のボイラー室から来る温風で宴会ホール全体を24℃に保っていたとか。


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ホールの一角はレトロな中華民国時代風のカフェになっています。
歩き疲れたらここで休めます。

ホールから外のテラスに出てみました。

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パラソルが邪魔でヘンな写真になってしまいました。
自由に座れる椅子が置いてあるので、観光のおばちゃん達でいっぱい。

中の洋風とは裏腹に、外側は中華デザインでビッシリ。豪華です。

一番下の下階は主に使用人やここで働く人達の部屋や設備で、
キッチンやボイラ―室など、地味ながらよく出来た部屋が並んでいました。

私は昔の家などレトロなものを見るのが大好きなので、ここも楽しみにしていましたが、
想像していたよりも蒋介石・宋美齢夫妻が慎ましい暮らしをしていたのが意外でした。

ここは規模が小さいので、サーッと見て流すなら短い時間で見て回れると思います。
私達は夕方に到着したので、これでも頑張って急いで見て閉館ギリギリに出ました。

明孝陵まで来たなら、ついでにこちらもオススメです。

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2014年07月13日

南京1日目 明孝陵

2014年5月31日(土) 明孝陵

霊谷寺から再び5元の電動カートで明孝陵に向かいます。


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明孝陵は、明の太祖洪武帝(朱元璋)と皇后の陵墓です。とにかく広大の一言。

大金門→四方城→石象路→翁仲路というルートで参道を散策していくのが本当の順番なのですが、
バス停は参道をすっ飛ばした入口の近くにあるので、先に陵墓を見てから参道を戻ることに。

明孝陵をすべて制覇したい方は、上の地図よりさらに南の地下鉄下馬坊駅まで来て、
そこから徒歩で下馬坊→大金門→四方城→参道・・・と歩いて行きましょう。5キロ位ありそうですが。

昔は、明孝陵に参拝する人は下馬坊から必ず歩いて行かなければならなかったとか。あーしんど。

余談ですが、参道の近くには三国志で有名な孫権の墓(記念館)もあるとのことですが、
私達はとにかく時間がなかったので今回はパスしました。


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バス停から中途半端に歩いて金水橋という所に到着。元々5つあったのが今は3つのみ現存。
この景色を見て「あ、9年前に来たわ!」と一気に思い出しました。ここは明孝陵だったのか。(^^;

後は、ここをひたすら真っ直ぐ北上します。よくある中国の宮殿建築の作りっぽい。
実際ここは、後の明清代の王陵のモデルになったそうです。


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ちょっと外れにひっそりとユネスコ世界遺産の碑が。世界遺産なのに人が少ない。


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陵宮の見取り図です。

東西にも建造物があるようですが、今までの中国での経験から、大体これらの建物内は
中がカラッポかお土産屋さんとかだったりします。(しかもここも大部分が復元だしね。)

よって、まっすぐ2番→7番→10番→11番→12番→14番と行くことにしました。


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2番の文武方門に到着。キレイに塗り直したようで随分と新しく感じました。
現地の説明を見ると1998年に復元したのだとか。その後も多分壁は塗り替えてるでしょうね。


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ガラスケースに入れられた「特別告示碑」という石碑を発見。

1909年、明孝陵の保護を目的として、日本語・ドイツ語・イタリア語・英語・フランス語・ロシア語
6ヶ国語で書かれた告示だということです。要は「傷つけたりしないでね。」ってことですね。

1909年というと、欧米列強や日本がぐちゃぐちゃ入り込んで外国人も多かったのでしょうね。
しかし、イタリア人までいたのか。ほぇー。


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同じ特別告知碑先の7番の碑殿にもあり、こちらの方が摩耗が少なかったです。
しかし漢字とカタカナなので読みにくい。


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碑殿は、その名の通り石碑がある建物で、こちらは康熙帝が1699年に南部巡視の際に
書かれた言葉を石碑にした、と説明にありました。少しバランス悪くて逆にリアルです。


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その脇には乾隆帝の筆による石碑が。
さすがにこの辺りは人が多くて引きで写真が撮れませんでした。


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そして真っ直ぐ進み、おそらくこの建物は地図10番の殿。(記憶が曖昧です。)
この頃には疲れでもうどうでも良くなってきたため写真もかなりいい加減です。

ここは元々は孝陵殿という立派な建物だったようですが、1853年に太平天国の乱で破壊され、
同治帝の時に建て替えられたそうですが、随分規模が小さくなってしまったような。

そして地図11番の内紅門をくぐり抜け(写真なし)、やっと突き当たりまで来ました。


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メインの建物、方城明楼。足元は昇仙橋という橋だったようです。スルーしてました。

下の石の土台の部分が方城で、明楼は上の色鮮やかな建物の部分を言うみたいです。
そして、この明楼の後ろに位置する墳丘が、太祖洪武帝皇后のお墓のあるです。

でも、ここってこんな新しかったっけ?9年前はこんな所来たっけ?と何だか不思議に。
現地の説明を見ると、明楼の屋根は2008年から1年かけて修復したと書かれていました。

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こちらは2005年の写真です。上の明楼の屋根が見事にありません。壁もボロボロ。
そうでした。確か以前はこのようにボロボロだった印象が。

随分と立派に蘇りましたね。


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階段を上って明楼の上に上がります。


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階段を上りきると、「此山明太祖之墓」と書かれた石垣が目の前に。
ここは円墳で、ぐるっと城壁で囲まれています。この地下に朱元璋が眠っているのです。


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宝頂はこの通り緑の生い茂ったで、歩道もあって中を行けるようなのですが、
墓室に行けるわけではないので私達はパス。

太祖洪武帝皇后の墓室はこの地下深くにあるそうですが、発掘調査をしたことがないとかで、
「地下宮殿」なんて呼ばれてはいますが、実際のところは謎なんだそうな。


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向きを変えて明楼の上に向かいます。この階段というか斜面が登りにくい。
少年のスニーカーは納得ですが、なんで大陸のおっさんは革靴で歩き回るんでしょうか。


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明楼の上から今まで歩いて来た道を臨みます。ここもアホみたいに広かったな。


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こんなトランプも売っていました。
非常に気になりましたが、南京という土地で日本人の私がこれを手に取る勇気はありませんでした。


実は、昔ここに来た時に非常に興味深い石を見たので、今回もそれを楽しみにしていたのですが、
修復されてしまって様子がすっかり変わってしまい、同じものが見つけられませんでした。

↓これがその石です。2005年に撮影。

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当時の私は中国語はほとんど分かりませんでしたが、ガイドさんの説明がありました。

ここを作る時に、奴隷だか職人だかが自分の名前を石に刻み、何か粗相があったりすると、
その情報を見てその石煉瓦を作った人が処刑されたのだとか。

この写真の石にそんなことが書かれているのかどうか分からないのですが、
そういうことを聞いて「ひえ~!」と思い、シャッターを切ったことを今でも覚えています。

でも、今回現地ではどこにもそんな説明はなく、ネットで調べても分からないままでした。
ほとんど中国語が分からない時に聞いた話なので、勘違いもあるかも知れません。

でも処刑されたという話は確かに聞きました。

こんなわけで、明楼では期待していた物が見られなかったせいもあってガッカリしてしまい、
ロクに写真も撮らずに元来た道を戻ってしまいました。

中国の遺跡はただただ広くて歩き疲れることが多いです。(涙)


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延々と歩いて翁仲路神道参道)に戻って来ました。
私達は逆方向に歩いているので、これは後ろを振り返った図。

正面に見える欞星門(れいせいもん)という門は、前に山東省の孔子を祀る孔廟でも見たので
気になって調べてみたところ、孔廟のウィキペディアには、

欞星は古代の伝説では天上にある星で、古代の帝王を祭る際はこの星に対し儀式を行った

とあるので、皇帝に関わりのある場所に置かれる門なのかなと想像。
孔子あたりになると、皇帝に近い所(あるいは同等)にまで神格化されたのでしょうね。


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道を曲がって石象路神道に来ました。これらの12対の石獣は明代から残るオリジナルですが、
今は皇帝の参拝というよりも、恰好のデートスポットになっている感じです。


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そして一瞬迷いつつ、四方城に到着。ここも見事に修復してますね。

四方城は通称で、本当は「神効聖徳碑楼」と言うのだそうな。
2012年に保護のため工事を行ったとあるので、本当に直して間もないのだな。


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中には明の永楽帝が父の太祖・洪武帝(朱元璋)のために立てた
大明孝陵神効聖徳碑」という石碑があります。

1413年に出来たとあるので確かに古いです。
永楽帝自身の手による碑文だそうですが、古いのと巨大すぎて遠くて見えません。



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そしてとうとう大金門に到着。

私達は逆方向に歩いてきたのでここで到着ですが、本来はここが明孝陵の外壁の正門なので
入口」という看板があります。徒歩の方はこの辺から出発ですね。

いやー、とにかく広かった!思いっきり足が疲れました。(今日は中山陵にも上ってるし。)
一体何キロ歩いただろう?って位疲れました。中国の陵墓や宮殿は本当に体力勝負です。

しかし時間はもう夕方。最後の一ヶ所、美麗宮が残っているので、
疲れた体にムチ打って、まだあともう少し歩き続けます。

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2014年07月11日

南京1日目 霊谷寺

2014年5月31日(土) 霊谷寺

中山陵を見学して元来た道を下り、思いっきり疲れた私達はとりあえず休憩。

中山陵のふもとには軽食や飲み物が売られていたので、
冷たい桃ジュース煮玉子を購入。

煮玉子は味が濃すぎて食べた後気持ち悪くなりました・・・。


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もち米に甘いつぶあんを挟んだおやつも買ってみました。
が、私はおはぎが嫌いなので当然ながらこれもアウトでした。(←アホ)

少しベンチで休んだ後、次は霊谷寺に行こうと最初に来たバス停に戻ったものの、
地下鉄駅に行くバスしか見当たりません。

係の人をつかまえて聞いてみると、霊谷寺行きのバスは別のバス停から出るそうな。


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この通り、中山陵には3つのバス停があり、霊谷寺行きのバスはさっき休んでいた場所のすぐ近く。
中山陵の博愛坊の近くでした。(中山陵東站)

ちなみに谷景区と書かれているところが霊谷寺のある所。

せっかく下ってきたのにまた上るのか・・・。うんざりしながらまた博愛坊の辺りまで戻りました。

そしてまた5元払ってSL電動カートで霊谷寺に到着。
ちなみに、チケットに含まれていた「音楽谷」という所はただの巨大な広場なので省略。

霊谷寺に到着した時、すでにランチ時間を過ぎていました。

この後、明孝陵美麗宮にも行きたかったので時間が厳しかったのですが、
ここで食べないとランチ抜きになって食いしん坊の私がもたないので軽く食べることに。


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バス停のすぐ近くでラーメンを。確か牛肉麺で10元。可もなく不可もなく。
どんどん伸びていく中国のラーメンです。


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さて霊谷寺です。手前に「国民革命軍陣亡将士公募」と書かれた石碑がありました。
中国革命後、敷地は国民党兵士の共同墓地になったとか。


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山門を通ってさらに碑坊を抜けると、前に建物が見えてきました。
とても広い敷地で、ここ全体が霊谷寺景区という公園のような場所になっているようです。


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最初に現れた無梁殿はガイドブックによると1381年の創建だそうですが、
現地にあった説明には「1931年に国民党兵士の共同墓地の祭堂に建て替えられた」とありました。

さらに、「辛亥革命腊像館」の看板もあるので、「辛亥革命ろう人形館」ってとこかな。


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中に入ったらいきなり現れる「国民革命烈士之霊位」の文字。薄暗い空間です。


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そして南京条約から始まる辛亥革命の流れがジオラマで展示。確かにろう人形です。


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アヘン戦争に負けた後うんぬん・・・という恨みつらみの南京条約。

これより中国は半植民地半封建社会に成り下がったという表現が、
ものすごい怨念というか屈辱を表しています。


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その他、中華民国成立とか第一次国共合作とか黄埔軍官学校の設立などなど。


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「革命未だ成らず」の言葉が有名な国父遺嘱

この他、戦死者の夥しい数の名前が壁一面に刻まれていました。

結構面白かった無梁殿でしたが、肝心のお寺もまだ見学していないので、いそいそと移動。


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ちょっと写真失敗しました。霊谷寺です。

昔は康熙帝乾隆帝も訪れた由緒あるお寺のようですが、太平天国の乱で大部分を焼失し、
多くがその後の再建だそうな。実際、とても新しいお寺でした。


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お寺の内部はそれほど広くなく、こじんまりとしています。しかも人も少なめ。


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実は、あまり期待していなかったのですが、想像以上に立派なお寺で驚きました。


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こちらは玄奘院。あの玄奘三蔵(=三蔵法師)から取られているのは明らかです。
が、この時はそのことに全く気付いていませんでした。


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ふと見上げると、こんな中国らしいモノがさりげなく。(笑)


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玄奘院の中に入ると、さらに大遍覚堂という場所が。


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この内部も荘厳で目を奪われました。気付くのが遅すぎましたが、これは玄奘三蔵の坐像です。
ここは玄奘三蔵法師の記念堂なのでした。


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坐像の左側に透明なケースに覆われた金色のものが置かれていました。


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唐玄奘三蔵法師頂骨舎利なんとか・・・と書かれています。

これを見て、このお寺に三蔵法師の頭骨が安置されていることを思い出しました。
旅行前にチェックしていたのですが、ここに来るまですっかり忘れていたのでした。

なんでも、玄奘三蔵の遺骨を南京で発見したのは日中戦争さなかの日本軍だそうな。


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玄奘三蔵の遺骨は、中でシャンパングラスのようなものに入れられていました。

ガイドブックには三蔵法師の遺骨が安置されていることは全く紹介されていませんでした。
これが本に載っていたら、もっと観光客が訪れるのではないでしょうか。

今回これがきっかけで、三蔵法師の遺骨が中国や日本のあちこちのお寺に分骨されていることや、
日本軍が南京で見つけた遺骨を、結構ムリやり日本にも分骨させた(っぽい)のを知り、複雑でした。

色んなことを思いながら、霊谷寺を出ました。


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こちらは松風閣。門は閉まっていてみんな中には入れず。


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こちらは見どころと言われる霊谷塔

でも実は新しくて、1931年~1933年に建立された国民党兵士の戦没記念塔だというので
わざわざ行って上るのはやめ、全体を見渡すだけで終わりました。

時間がないのでサクッと見て終わるはずが、思った以上に見ごたえのあった霊谷寺でした。

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2014年07月09日

南京1日目 中山陵

2014年5月31日(土) 孫文の墓 中山陵

ホテルに荷物を置いたところで、さっそく観光に出かけます。
まずは、中山陵明孝陵など観光名所の多い鐘山風景区へ向かいました。

ホテルからは地下鉄の新街口駅がすぐそこなので、地下鉄で行くことに。

ガイドブックの案内通り、地下鉄2号線の「苜蓿園」という駅まで4駅乗車。

そこから市バスの停留所を探したのですが、先に観光バスの案内看板を見つけ、
大勢が歩いていくのと標識に従って5分ほど歩いていくと、観光バス乗り場を発見。


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ぬぉっ!なんかカワイイ観光車両が停まっているではないかっ!
この日は連休のため観光客がワンサカ。


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おそらくこれが、ガイドブックに書かれていた「観光用電動カート」のことだと思います。
本には、鐘山風景区内はこの電動カートで移動できると書かれていました。


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このカートは、ここと中山陵南停留所を往復するようです。観光車1号線とあります。

すぐ近くに市バス(確か2元)の停留所もありましたが、迷わずこちらに乗ることにしました。


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電動カートは1回乗車につき5元です。これはチケットの裏に載っていた路線図

見ると、ほとんどの路線が中山陵に行くので、まず最初に中山陵を目指しました。

地図では地下鉄の「下馬坊」駅の方が近そうだったのでそちらで降りようかとも思いましたが、
苜蓿園で降りて正解でした。こっちの方が路線が多いです。

まず、サラミ夫がウジャウジャいる人並をかきわけてチケット売り場の列に並び、
鐘山風景区の1人100元のチケットと電動カートのチケットを買いました。

100元のチケットは、明孝陵・美麗宮・音楽台・霊谷寺の4か所がセットでした。
今から行く中山陵は無料です。

この100元のチケット、「145元が今だけ100元!」と宣伝文句が書いてあって、
チケットにも確かに145元とあるのですが、最初から100元なのでは?とも思ったり。

長く中国で暮らしていると、こういう安売り文句は信じがたくなるのです。(笑)


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しばらく並んで乗りましたが、カワイイSL風カートも乗ってしまうとただの小汚い乗り物でした。(^^;

しかし、中山陵までは延々上り坂が続くし、いくら遊歩道が整備されているといっても、
夏場にひたすら歩いていくのは大変だし、観光用のカートに乗ってよかったです。

SL君は何か所か経由し、中山陵に到着。終点なので全員ここで降りました。
ここでまた乗客を乗せて地下鉄駅へと戻っていくようです。

ちなみに、中山陵というのは孫文の陵墓です。ひたすらバカでかいです。

実は、私は2005年に当時通っていた中国語クラスの学校主催旅行で一度来たことがあり、
今回は9年ぶり2回目の訪問です。サラミ夫は初めて。

前回来た時は、まさか9年後にまだ上海にいるなんて夢にも思っていなかったなぁ。(笑)


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地図を見ると、バス停から中山陵の最終目的地である祭堂まではまだまだ遠い・・・。


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バス停から中山陵の入り口までは、中国によくある「お土産屋さん通り」になっており、
ちょろっとお店を覗いてみましたが、ひたすら毛主席(&昔の中国共産党の元帥)だらけ。


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壁のポスターがすごい。左から、

マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン・毛沢東・劉少奇・周恩来・朱徳

の皆さんです。ここは中山陵だというのに、孫文はおらんのか、孫文は。(呆)


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入口です。バス停からここまですでに3分くらい歩いています。
ここを抜けて、再びひたすら歩きます。


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すぐに博愛坊という碑坊のところに来ました。さすが祝日、無料開放だけに人が多いです。
ここはまだまだ始まりです。


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ガラーン。400メートル近くはありそうな墓道を黙々と歩きます。


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やっと陵門に到着。日陰が少なくて大変です。
中央の門の上には「天下為公(天下をもって公と為す)」という扁額がありました。


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門をくぐり抜けると前方に何か建物が見えます。

しかし、昔ここに来た時には死ぬほど石段を上った記憶があったのですが、
こんな楽勝だったっけ?はて?


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建物の中には石碑が立っていて、ものすごい人です。ここはまだ途中の碑亭でした。

そして、この碑亭を通り抜けると・・・

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ありました。長~い石段。392段あるそうな。

実はこの日、気温は高いのに空は曇り出し、どんどん湿度が上がっていったので
不快指数200%でした。しかも日陰がないので大変。私も思わず傘を差しました。


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これでも少し上ったのですが、景色がほとんど変わりません。ぜーぜーぜー・・・。
なにがしんどいって、この石段アホみたいに低いのです。全然前に進む感じがしません。


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ど、どうですか。ちょっと近づいてきましたよ。あともうちょっと。ぜーぜーぜー・・・。


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あともう少し。みんな熱心に祭堂をバックに写真を撮っていますが、よくそんな元気あるなぁ。


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そしてついに祭堂に到着!真ん中の奥に孫文坐像が見えます。
門の上には、左から民権・民生・民族の文字が。三民主義ですね。

ここの扁額には「天地正気天地に正気あり)」とありました。
南宋の文天祥という人が詠んだ「生気の歌」の冒頭だそうな。故事が分からん。勉強せねば。


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祭堂の中は写真が撮れないので、これは外から撮りました。
昔は祭堂内でもみんなバシバシ写真を撮っていましたが、今回は警備員が厳しく見張っていました。


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なんとフランス製だという孫文の坐像のアップ。
この孫文像の真後ろにもう一つがあり、写真の孫文の左右にそれが見えています。

2005年に来た時にはその門が開いていて、後ろの墓室に入ることができましたが、
現在は非公開になってしまったようで、孫文像の周りを一周して終わり。

ここまで上ってきて孫文の棺が非公開ってなんで~!?と、意気消沈。
悠長に公開するような状況でなくなったんでしょうか。最近ヘンな人も多いし。

しかし、私はその昔に孫文の棺の写真を撮っていました。

これがその時の写真です。

21.jpg

2005年に撮影。棺の上は孫文が横たわった像が。臨終の姿を元に制作されたそうです。
当時私は、ホンマに遺体がこの中に安置されてるんかな?と疑っていました。どうなんでしょう。

はるばる中山陵に来てみて思ったのは、立派な陵墓だけど微妙、ということでした。

当の孫文本人は「自分の遺体は南京に葬って欲しい」と希望していたそうですが、
果たしてこんな皇帝みたいなバカでかい陵墓なんて作って欲しいと思っていたのでしょうか。

もっと、フツーのお墓に入りたかったんじゃないのかな。

ちなみに、中山陵のふもとの博愛坊の近くで、この墓室の中を有料(2元だか3元だか)で見せる
機械みたいなものがありました。よく高台にある100円入れて見る望遠鏡みたいなヤツです。

なんかセコイなーと思ってしまいました。
昔のように、普通に入場料取ってた時の方がまともな感じだったような気がします。

こんなワケで、苦労して山の斜面を上っていったわりにこれで終わりかという印象が大です。
孫文に全く興味のない人や時間のない人は、ここは飛ばしてもいいかも知れません。

私も、もう3回目はないな。(笑)

ラベル:南京 中山陵 孫文
posted by サラミ at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする

2014年07月08日

南京1日目 南京のホテル

2014年5月31日(土) 南京のホテルにチェックイン 

5月末から2泊3日で南京へ行ってきました。

近場なので日記もつけてなくて内容をすぐに忘れてしまいそうなので、
今のうちに記録を残しておこうと思います。

まずは、31日の早朝、タクシーで上海駅へ。

上海から南京に行くには高速鉄道が便利です。

多くの便は上海虹橋駅~南京南駅を結んでいますが、
我が家からは上海駅の方が近く、南京で泊まるホテルは南京駅の方が近かったので、
今回はあえて上海駅~南京駅を結ぶ便を選びました。


朝7時ちょうど発のG7002次という高鉄で南京へ。所要時間は1時間39分。
座席は2等で139.5元でした。


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日本の新幹線はこんなドッキングの仕方してないと思いますが。不思議。

そして予定通りすんなりと南京駅に到着。

南京駅は新しくできた南京南駅と違い、昔からある巨大な鉄道駅なのでちょっと古い。

地下鉄1号線の南京駅と連結しているので、すんなり乗り換えられるかと思ったら、
混み合って前になかなか進めず大変でした。

河南省の鄭州駅も辟易するほどヘンな作りで混み合っていましたが、ここ南京もやはり。
特に、地下鉄の駅に乗り継ぐ人が恐ろしい数で、前方を見てもう真っ青。

どうやら、休日の南京駅は異常に混み合うようです。
こんなことなら南京南駅を使った方が良かったかも。(涙)

人が多すぎて写真を撮っていませんが、花火大会当日の最寄駅を想像して下さい。
単なる連休でこの混み具合はちょっと構内の作りがマズイのでは。


2.jpg

余りに混み過ぎていたので自販機の前に並んで地下鉄の切符を買うのはやめ、
臨時の発券カウンターに割り入ってこんな臨時切符を購入。

あまりの人の多さに、地下鉄南京駅の自動改札は停止していました。
係員が切符をちぎって確認。自動改札の意味ないやん。(^^;

地下鉄の南京駅のプラットホームもなんかヘンな作りで使い勝手が悪かったです。
しかも、南京駅では上海と違って人民が地下鉄に乗り慣れていない感じ。

おそらく、江蘇省のありとあらゆる方面から田舎の人が出てくるのでしょう。

もしまた南京に行く機会があったら、今度は絶対に南京南駅を利用しようっと。

文句ブツブツ言いながらも、5駅乗って「新街口」という駅で降りました。
ここは地下鉄1号線と2号線の交差駅です。上海だと人民広場みたいな場所でしょうか。


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そして地上に出ると本当にすぐの所にある金陵飯店が今回2泊するホテル。
ここまで近いなら駅直結にして欲しい。でも十分近いです。

金陵飯店は南京で初めて建てられた高層の高級ホテルだそうで、
開業当時の1983年には他にこんな高層ビルはなかったそうな。


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ロビーがガラーンと広く、いかにも中国ローカルの高級ホテルといった感じです。

今回ここを予約したのは、ちょっとツテがあってお得な料金で泊まれたから。
それに立地が大変便利です。

なんと朝の9時台にホテルに到着したのに、追加料金なしで部屋を用意してくれました。


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部屋は13階でした。ベッドは広々。


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でも、ベッドサイド・テーブルがこっち側にしかない上に、この形が非常に使いにくい・・・。


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窓からは、新街口の大きな交差点が見えます。真ん中に立つ像は孫文です。後姿ですが。


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部屋は広くて、ソファを置いてもこんなにガラーンとスペースが。


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そして、ビジネス用なのかデスクも完備。
でも、このガラスの机も棚も全部小さくて、物を置くスペースが本当に少ない。


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無駄に文房具とか揃えてあるのですが、それより荷物をしまう棚が欲しいところです。
この窓もなんだか少し小さい。


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そしてとーっても中国的だと思ったのが、この有料のギフトセット。

中国の外資系ホテルでもこういうセットを見ますが、もっとホテル独自の商品とか、
ロゴの入った高級感溢れる品々が多いのですが、これはちょっとセンスがない。(^^;

中国ローカルが経営するホテルって、どれだけ高級を謳ってもやっぱり田舎くさい。(笑)


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茶器はホコリ被ってます。アカンやろ、これ。


13.jpg

バスルームはキレイに改装してありますが、ちょっと圧迫感が。
アメニティも貧弱でした。


14.jpg

シャワーは至って普通。ただし、取っ手が取れました。無理やりハメましたけど。(笑)

全体的に、よくあるデザインの内装で、ヒルトンやらマリオットやらの
エグゼクティブ・ルームをパクッた感じだな~、という印象です。

一応5つ星ということだったので期待しすぎました。

後で分かったことですが、ここはエグゼクティブ・フロアーということでした。
えーって感じです。ま、中国ローカルはこんなもんかな。

昔の栄光にすがるプライドの高い元5つ星ホテル、と言う感じでしょうか。
実質的には4つ星かな、という気がします。

やっぱり中国ローカルのホテルに期待してはいけないのでした。

しかし、立地だけは本当に抜群です。そこだけはオススメ。(^^)


posted by サラミ at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 14南京 | 更新情報をチェックする
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