2014年04月19日

ドイツ2日目 フリードリヒ・エーベルト記念館

2014年1月30日(木) フリードリヒ・エーベルト記念館  (ウィーン・ドイツ旅行6日目)

聖霊教会をちょろっと見た後は、西へ。


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ハウプトシュトラーセ(メイン通り)はこちらですが、私達はこちらには行かず、
フリードリヒ・エーベルト記念館という場所に行くことにしました。

これは観光案内所で買った日本語ガイドブックに載っていたもので、
フリードリヒ・エーベルトドイツ国(ワイマール共和国)初代大統領だそうな。

珍しいからちょこっと寄ってみようということに。


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場所は先ほどの聖霊教会から近く、Pfaffengasseという小道。
カフェ・クネーゼルのある通りの1本西です。


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ここがエーベルト生家だそうで、それを記念館にしています。


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こちらが入口です。ひっそりしています。

他に観光客はいませんでした。

音声ガイドの貸出しもしていましたが、要らないと言うと、少しビックリされました。
英語のガイド聞いてたら時間かかるし、音声だけだと疲れるし。

展示はドイツ語だけですが、サクッと見るだけだしまあいいや、ということで。

エーベルトが住んでいた当時の家の中が再現されているのですが、
その辺は全然記憶になく、展示のところだけ熱心に見ました。

ところで、このフリードリヒ・エーベルト(1871-1925年)という私には全然なじみのない人ですが、

ワイマール共和国初代大統領

という肩書を見て、歴史に疎い私はこれまた「ワイマール共和国って何ですか?という
小学生のような疑問が浮かび、サラミ夫に教えてもらうことになるのでした。

要は、ドイツ帝国とナチス・ドイツの間の十数年の期間に存在した共和政の時代ですね。

自分でも調べて今回初めて知ったのですが、このドイツ帝国の成立から第二次世界大戦終戦まで、
正式な国名はずーっとドイツ国(Deutsches Reich)だったのですね。知らんかった。

ドイツ帝国とかって便宜上そう呼んでいるだけだったのか。ややこしい。


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展示はドイツ語のみなので、サラミ夫の歴史の知識と数字と知っている単語を見て
推測していくという見学方法です。(いいのかそれで。)

ドイツ 1871 と書かれているので、1871年当時のドイツの状況なのでしょう。
ちなみに1871年はドイツ統一(ヴィルヘルム1世即位)の年です。


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SPDとあるのでドイツ社会民主党だと理解。エーベルトはドイツ社民党の人なのですね。

そして第一次世界大戦の展示が。


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続いて1918年11月9日 で、ヴィルヘルム2世の退位が発表された日。


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この辺で共和政の開始でしょうか。

しかし、このエーベルトという人はエラい時に大変な仕事を引き受けたもので、
ベルサイユ条約を締結して屈辱的な多額の賠償金を約束するという・・・。


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そのため、経済ぐちゃぐちゃのドイツはハイパーインフレ。(この話は私でも知ってました。)
スゴい写真ですね。紙切れ同然の紙幣の束で遊ぶ子供達


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子供達の写真の足元にこんな展示が。パン1つ買うのにこれだけ紙幣が必要だったのでしょう。


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この表を見ると、特に1923年がすごい。

この後、激務がたたったのか、エーベルトは1925年に亡くなります。54歳という若さ。
エーベルトの最後の展示は「共和国のシンボル」ということで立派な国葬の様子で終了。

エーベルトの次の大統領はヒンデンブルク(ヒトラーを首相に任命した人)ということですから、
議会制民主主義はあっという間に終わってヒトラーが台頭していくのですね。

歴史と政治には疎い私ですが、ちょろっと見ただけですが勉強になりました。



posted by サラミ at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 14ウィーン・ドイツ | 更新情報をチェックする
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